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ちょうど波のようにさよならがきました

今日はNHKカルチャーセンターへの出張教室の日でした。

7年続けてきたのですが、来月をもっておしまいにしました。

7年前、まだ雲間は開いておらず、他の仕事に忙しく、
たまに流しでお茶会を開いて楽しんでいただけだった。
紅茶の講師をされていたY山さんに、「中国茶の先生やらない?」
とご紹介いただいたのだった。

みんなで楽しく茶を飲むのではなく、ちゃんと人様に教えるなんて
できるのかな?すごいプレッシャーを感じながらのチャレンジだった。

教えるというよりも、伝えるために勉強することがはるかに多く
伝えれば伝えるほど、なんて知らないんだと思っていた。

それでも、通って来てくださる方々が
「センセ、わたしら何度聞いても忘れるから〜
 でも何回聞いても楽しいわぁ〜」などといいながら
へぇ〜面白いわねぇ〜と喜んでもらえるのが嬉しかった。

あのおばあちゃまはお元気かな、あの方はどうされてるかな
いろんなお顔が浮かぶ。

時は流れて、自分の場所を持つようになると、店を閉めて行くのが
ちょっとづつ負担になってきたのかな。

潮時、という言葉は実によくできていて、
ほんとにちょうど波のように、ああもういいかな、と思えた。

これまでも、ずっとずっと、永遠に続くのかと思うものも
すべて終わりがあった。
すっと空気がかわり、なくなったり、身を引いたり、切られたり
すべては必ず終わりを迎えた。

そしてぽっかり空いたその穴に、また新しいものがぽんと入る。
これは不思議だが、必ずその繰り返しなのだ。

ちょうど波のようにさよならがきました

これはたしか佐野元春の歌だ。

祖母がなくなったと連絡をうけ、あわててタクシーに飛び乗った
その車内で
ラジオからこの曲が流れたのだった。

どうしてあなたはそんなに手を振るのだろう
僕の手はポケットの中なのに

別れはいつも突然で
手を伸ばして引き止めることはできないんだな
春の日差しいっぱいの車窓の景色を眺めながら
涙がぱたぱた落ちて止まらなかった。

さみしいけれど
「終わりははじまり」

久しぶりに晴れた今日の夕暮れは綺麗だった。
寝床に帰るカラスたちを見ていたら、
またこの曲が脳内再生されたのだった。

終わりははじまり
終わりははじまり

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