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2020.10.24 sat. 野生の菌
今朝ぼーっとFacebookのタイムラインを眺めていたら
「天然水だけを使い、純粋培養のイーストを使わず、野生の菌のみで醸造」
という表現にぶちあたった。
「野生の菌」? 菌はぜんぶ野生だろ? 何言ってんの?
よく読むと、人工的に純粋培養した菌は使ってませんよということらしい。
とても腑に落ちない。
味噌や醤油やキムチやプーアール熟茶や、そういう目に見えない菌で醸すものは人と自然の(その人的に言えば「野生」との)共同作業でつくるもの。
歴史に名を残さない人々が試行錯誤で菌との付き合い方を体得し、「なんでかわからないけどこうやったらいい塩梅」というのを脈々と受け継いできた。
その菌は野生だが、人が利用するために折り合いをつけて飼いならしてはきただろう。それが人の知恵だし文化なんだと思う。
だって本当の「菌の野生」は、発酵と腐敗の混沌だろ。人の都合で生きてないもん。
しかしここで「うちは野生の菌」と表明することは、
なんだろうな
かつての無名の人々の知恵や文化をないがしろにして
「知らない人々」へ強烈にアピールするための惹句でしかないと感じるんだ。
「命をつくる食べ物が工業製品になっていいのか?」
「われわれは命を守るのだ」
と彼らはかっこよく言うだろう。
わたしは「知らない人々」だ。
土から離れて暮らしている。
耕さず、作らず、苦労せず食べ物を手に入れる生活をぬくぬくとしている。
それと同時に「そんなことでいいのかな?」という疑問と不安が常にある。
保存料や食品添加物まみれなんじゃないの?とか
虫もくわないなんて農薬だらけなんじゃないの?とか
工業製品みたいに大量につくってるんでしょ?とか
このままで人類はだいじょうぶなの?とか
だから
天然です
自然です
野生です
環境に配慮して持続可能です
ひとつひとつ手摘み 手作り
農薬不使用 有機栽培
とかいうのに大変弱い。むしろ大好きだ。
「知らない人々」はこういうのを有り難がっちゃう。
しかも、そういうものは手間コストがずいぶんかかり大量にできないのでだいたいものすごく高いのに、喜んで金を払っちゃう。
それは自分や家族の健康のため、美味しさのためのようでもあるけど
贖罪でもあるのではないか。
それに金を払うことで、自分の罪が軽くなる気がするのではないか。
それはもはや食費ではなくお布施なんじゃないかと思う。
「野生の菌」的人にはものすごいファンがつく。
もはや帰依してるような眼差しで見つめて金を払うファンが。
そういうファンたちは自己責任で幸せなのだろうからとやかくいわない。
が
特に名乗らず
なるべく安全で美味しいものを、より安く供給したいと考える
耕す人作る人たちのことを思う。
食べることは大事にしたい。
だから、工業製品みたいな食に危機感もあるし、かといって宗教みたいな食に嫌悪感もある。
その中庸で
よくよく見ないとわからないような、日々淡々と仕事をしている人たちが支えている世界を大事にしたい。
慎重に金の払い先を考えたい。
※画像は茨城の「たつご味噌」さんの蔵。趣深い。http://www.tatsugomiso.com/