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因島ロマンスポルノ戦記 ~八月晦日と旅の狐~

8月22日。遠い南の海で台風が発生した。
台風10号、名を「サンサン」
時に、メジャーデビュー25周年を迎えるポルノグラフィティ、夏イベントの集大成「因島ロマンスポルノ」の10日前のことであった。
これは、我々ラバッパーと台風との戦いの記録である。

と言うことで、どうも、銀尾です。
今回は今夏、聖地・因島で行われたポルノグラフィティ単独ライブ「因島ロマンスポルノ」……の、会場へ向かうまでの経緯を記録として残すべく筆を執ろうと思います。

わたくし、銀尾。旅のキツネ。
自他共に認める旅人でございます。
国内ならばどこへでも、東奔西走。旅の道中で荒天や台風に見舞われたことも一度や二度ではなく、その都度、乗り切ってきた自負があります。そんな旅人でさえ滅多に経験しないだろう、関東~広島の強行軍の模様をどうぞ。

なお、因島ライブについては初日が台風で中止となり、また開催された2日目についても交通事情などで参加が叶わず、たくさんの人が辛い思いをしたこともあり
(それでも開催してくださった公式には感謝しているし、ライブに参加できたことは本当に幸運だったと思っている)
あまり面白おかしく書くのも躊躇われ、淡々と綴れたらと思っております。

※因島ロマポルのため関東から福山に行くまでの道中記です
※ライブ当日のレポートではありません
※管理人は電車メインの独り旅を趣味にしています

【3/31㈰】PG wasn’t build in a day オーラス@有明アリーナ

19thライブサーキット、通称「ワズビル」の最終日にポルノグラフィティワンマンライブ
「因島横浜ロマンスポルノ」
開催の告知がされた。

ポルノのライブは、形態によって次のように呼び方が変わる。
全国ツアーを「ライブサーキット」。単独ライブは開催する地名を冠して「◯◯ロマンスポルノ」(ロマポル)と呼ぶ。
ちなみに、ファンクラブ限定のライブを「FCUW」(ファンダワ)と言う。
特に「ロマポル」は名前の響きから、一定以上の年齢の一般人にもギョッとされることが少なくない。
「有給ください!ロマンスポルノに行くので!」と上司に包み隠さず申請して、盛大に誤解された方もいらっしゃるのではなかろうか(待て)

さて。
今回のロマポルは何と言っても、ポルノお二人の出身地にしてファンが集う聖地、因島での開催だ。数々の伝説を生んだ横浜と共に、それぞれ土日2日間ずつ、計4日の日程だ。
会場の規模の関係もあり、因島公演の倍率は鬼のように跳ね上がったことが予想される。私は運良く因島2日目(と横浜両日)に参加できる運びとなった。
同年の7月と8月に開催された「島ごとぽるの展」を目一杯楽しみ、指折り数え、その日を待ちに待っていた。

そんな矢先の台風発生である。
季節柄、台風なんて珍しくもない。むしろピークの時期だ。
予報円は早い段階で沖縄から四国沖を抜け、ライブのある週の頭に関東を過ぎる予報だった。誰もが台風一過の晴天を想像し、かの地で集うファンたち、そしてステージ上のポルノのおふたりの姿を思い描いていた。

しかし。
風に乗り切れない哀れな台風サンサンは、あろうことか九州の南で停滞を始めた。高い海水温で見る見る下がる気圧。沸き上がる雨雲。各地で頻発する土砂災害。

この台風の恐ろしさは本体の気圧の低さのみならず、離れた地域に豪雨を呼び込むところだった。
滅多に台風の被害を受けない我が故郷・神奈川が、記録的な豪雨を食らい、高速道路や鉄道網が麻痺しかかったことは記しておかねばなるまい。
神奈川は県西部の箱根と丹沢連山が屋根の役割をするため、同じ南関東の東京や千葉が暴風雨でも平気な顔をしていることが多い。仮に台風が来ても、夜間にちょっとした風雨が通り過ぎ、朝にはカラッと晴れていることもしばしば。

実は今回も高を括っていた。
どうせ大したことは無い。ちょっと雨が降って、ちょっと強い風が吹くくらいでしょ。
しかし蓋を開けてみれば、東名高速やJR私鉄が運休区間を抱える有り様だった。神奈川の隣県である静岡や、名古屋を筆頭とする東海地方の被害も大きく、鉄道各社や高速道路会社は安全確保のため一斉に「計画運休」「道路封鎖」の可能性を示唆し始める
日本の大動脈、東海道を封じられた我々関東民や東北民、まさに台風が迫っている九州民たちは途方に暮れた。
広島県へ向かう手段が、断たれつつあったのである。
記念すべき因島ロマンスポルノ初日、8/31の数日前のことだった。

【8/27㈫】広島への交通手段を検討

当初の台風予報円は、月曜日~火曜日で関東を抜ける、と言ったものだった。実際は未だ九州沖に停滞中。
「まだ猶予がある」と交通チケットをそのままにする者、「これはまずそうだ」と旅程を見直す者、きっと様々だったと思う。因島ロマポルを機に、初めての広島旅行を考えている人もいただろうから、慣れない土地に想いを馳せ、不安を募らせていたんじゃないかと想像する。

旅人の経験上、在来線鈍行が止まっても新幹線は動くことが多い。専用高架を走る新幹線は点検の区間がある程度 決まっているので運行可否の判断がしやすいから…と私は考えている。運行管区が広い場合、線路上に異物が無いか、パンタグラフは使えるか、駅のホームは……と点検箇所は多岐に渡り、全ての箇所で安全が確認できないとGOが出ないだろうことは想像に難くない。
そして、同じ新幹線でも快速「のぞみ」は早く止まるが、鈍行「こだま」は最後まで走らせることが多い。

ここからは経験談である。
2019年、千葉県で甚大な被害を出した台風19号が列島を縦断したとき、私は折しも広島(県東部)に行く計画を立てていた。地元神奈川の河川は氾濫危険水位を越えそうになり、また上流のダムは昼間のうちに緊急放流をして水位を下げ、夜間の降雨に備えていた。
このときはやはり数日前から旅程を見直しを始め、一緒に回るはずだった岡山・倉敷プランをパージ、旅程当日に台風が抜けているだろう広島県西部のプランへと差し替えを実行。
さらに金曜日に前乗りを決定し、広島駅まで乗り換えの発生しない「のぞみ」の指定席チケットを取り直した。
※普段は料金が安くなる「こだま」や「ひかり」を併用していている
※この場合は名古屋や新大阪で乗り換えが必須

このときは計画運休の実施が一般的でなかったと記憶しているが、このときのJR東海は「指定席通路を自由席として開放」していた……と思う。
さらに夕方の便を増発し、「移動するなら早めに移動すべし」「動けるときに乗せるだけ乗せる」みたいな状況だったような気がする(記憶違いだったらすみません)
新幹線は混雑と東海地方の荒天のため遅延こそしたが、夜遅くに広島駅に到着することが出来た。

続く翌日。
広島県は風雨のピークは過ぎていたものの、台風19号が超巨大台風だったため未だ強風域にあり、JRが早朝から運転見合わせをしていた。
広島市は大きな河川があり、そのため橋が多く、強風の影響を受けやすいのだ。そのときは糸崎から岩国まで広島管区全域がやられていたと記憶している。
こんなときの広島市で動くのが、路面電車の広電と、荒天に対して鉄壁の強さを誇るアストラムラインである。
アストラムは専用高架を持ち、また広電はバス車両と似た属性のためか多少の風雨では影響を受けにくい。これにより、私は広電で宮島口に行き、高波にもめげず運行しているフェリーで宮島に渡って観光。午後から再び路面電車で紙屋町まで戻ってきて、広島パルコで開かれていた「ポルノ展」を楽しんだ。

さて、宮島と広島市街地の観光を終えた夜。
翌日に因島観光を計画していた私は、三原に宿を取っていた。が、JRは強風の影響で朝からダイヤが乱れっぱなし。運転再開こそしてくれていたものの、仮に広島駅を東へ向け出発しても安全が確保できない場合は途中で折り返す可能性がある、と駅員さんから説明された。
こんなときは新幹線を使う。
予想通り、広島ー福山の区間で「こだま」が臨時運行していた。途中、飛来物除去のため1時間ほど待ちぼうけをくったが、無事に三原に到着。翌日は因島に上陸を果たしたのだ。

ついでに、もう一つ経験談を記しておく。
数年前、家族で名古屋旅行に行った時のことだ。やはりこの日も西から台風が来ていて、土曜日こそ観光が出来そうなものの、日曜日の夕方あたりから新幹線に影響が出ると予測が出ていた。
当初、名古屋発着でチケットを取っていた私たちだが、前日のうちに私の独断で帰りの新幹線を「名古屋」発ではなく、より東の「豊橋」発に切り替えた。日曜日の観光予定地が岡崎だったことも幸いしたが、何故、名古屋駅出発にしなかったのか。
「のぞみ」は運休しやすいからだ。
そして豊橋駅には「のぞみ」は止まらず、「こだま」しか止まらない。
大ターミナルで大混雑が予想される名古屋駅で発着を待つより、「こだま」が出る豊橋駅の方がもともと利用客の絶対数も少なく、安全と判断したためである。
「こだま」の利点は「自由席の多さ」にもある。もちろん指定席の方が旅程としては安心だが、乗る便を待たず「とりあえず乗る(座れる)」が出来る確率が高いのは心強い。
※現在は計画運休、駅構内への入場制限などがあるため、指定席チケットが無い場合は混雑・混乱を助長する恐れがあり、無理に来駅すべきではない場合もあります
※お盆などの繁忙期は指定席のみで運行することも増えてきました。要注意

この読みは見事に当たり、比較的空いた車内でゆっくり座って帰宅することが出来た。また、奇跡みたいな話だが、私たちが乗った「こだま」が豊橋発の最終便で、その後の東海道新幹線は豪雨で沈黙したのである。
もちろん、様々な偶然や幸運が重なったことで「何とか帰れた」が事実だが、名古屋発着にしていたら運休で帰宅できなかった可能性が高く、これは旅人人生でひとつの語り草になっている。

と言うことで。
・荒天時は鈍行タイプの新幹線がよい
・荒天を見越して「のぞみ」は増発することがある
・仮に途中で止まっても主要駅が使えるよう立ち回るべき
※そもそも荒天時は無理して移動してはいけない(最重要)

という経験則を活かし、
早い段階で のぞみ利用は避け、ひかりとこだま併用で福山に向かうチケットを予約
していた。これでもし「のぞみ」が止まっても、自分の乗る新幹線は止まる恐れが低くなり、ゆっくりでも広島へ向かうことができる。「のぞみ」が増発するなら、それでよし。

そしてもう一つ、代替策として
「小田原発の関西行き夜行バス」
を検討していた。昨今の計画運休を鑑み、万が一 新幹線が止まった時のための防衛ラインである。新幹線をプランAとすれば、夜行バスはプランB。新幹線の計画運休が決まった際は、迷わずプランBを決行予定だった。夜行バスでメジャーな横浜や新宿発着にしなかったのは、比較的マイナーで倍率が低そうだったから。
AとB、どちらを選ぶかは現段階ではまだわからない。可能なら、なるべく東海道新幹線を使いたい。予報図を注視する日が続く。

【8/28㈬】メンバー現地入り

水曜日、ポルノさんたちが現地入りしたことをメンバーのX(Twitter)で知った我々は不安の中、ライブの準備を始める。
台風の影響が出る前に移動すべく、予定前倒しで広島入りをする面々=先発組が目立ったのもこの辺りだ。新幹線が動くうちに、飛行機が飛ぶうちに、憧れの地へ向かうラバッパーたち。
悲しいかな社会人で勤務がある我ら後発組も、来る出発のタイミングを読んでいた。「ひかり」「こだま」の併用チケットも確保したままだ。
なお、荒天時、航空各社や鉄道会社は手数料無料で切符の払い戻しをしてくれることが多いから、無理をせず旅を中止するのも選択肢としてあり得る、ということを書いておく。

水曜日の午後、ポルノ公式から「開催可否について協議している」旨のメールが。「中止かもしれない」の不安が過りつつ、界隈は最後まで諦めないラバッパーたちで溢れていた。

【8/29㈭】因島ロマポル初日中止の報

正午、残念ながら因島1日目の中止が発表された。
何日も変わらない台風の予想進路図を睨みながら「仕方ない」と「何でどうして」と感情が綯い交ぜになる。ファンの皆さんや、ポルノのお二人が因島開催を心待ちにして楽しみにしていたのをXなどで見てきたから、すぐには納得は出来なかった。
なおも台風は速度を上げず、進路予報は中国地方を直撃。もはや2日目開催も絶望的のように思えた。
前日にメンバーが現地入りしていることを知っている面々、2017年の「しまなみロマポル」(※豪雨で2日目が中止になった)の悔しさを知っている面々は
「例えファンが駆け付けられなくても、島の人を入れてライブをして欲しい」「ライブをさせてあげたい」「広島に着いてる人たちだけでも」
と切実な胸の内を呟くなどしていた。

この段階で、東海道新幹線の区間運休が発表された。もともと海沿いを走るため雨に弱い在来線も運休。
三島ー名古屋という他に代替路線のない区間が止まり、東の民は「東海道を使わない名古屋越え」の難題を突きつけられることになった。三島起点で運休とは珍しい判断だと思ったが、車両基地がある関係だったのかな?
ただ、台風の速度が変わったり、それに伴う天候変化により計画運休の日付が変わる可能性もゼロではなく、まだまだ先が読めないでいた。

ここでプランB発動、すなわち
「ずっと温存していた新幹線の切符を払い戻し、夜行バスで西へ抜ける」
の実行を決定した。少なくとも名古屋まで行ければ、そこから西へ行く手段は残されている。ライブ開催は日曜日だから、土曜日をまるまる使って広島県に辿り着ければいい。
「小田原発」の夜行バス。これが引き金だった。

【8/30㈮】出陣前夜

・忍び寄る雨音

この日、私の住む神奈川県は夜半からの断続的な豪雨で2時間おきに、川沿いの地域中心に避難勧告のメールが届く有様だった。その度にアラームで叩き起こされ、ふらつきながら状況を確認する。ほとんど寝る暇もなく、寝不足のまま仕事へ。
それでも仕事終わりにそのまま夜行バスに乗るから、雨の中をライブ装備を抱えて出勤した。

前日の「初日中止」の報を受け、意気消沈していた。
だが、まだ終わっていない。
メンバーも、前倒しで動いたラバッパーたちも、広島にいる。我々も広島へ行く気概だけはある。例え2日目も中止の可能性が高くとも、最後まで諦めるわけにはいかない。公式も決定を先延ばしにしてくれ、2日目開催の可否は翌31日の朝に持ち越されることとなった。
このときのXのTLは葛藤と闘いつつも
「どんな決定でも受け入れる」
という「覚悟」のポストで溢れていた。

ここで。
前述の通り、神奈川は一部自治体に避難勧告が出るほどの豪雨に見舞われていた。これにより、小田原方面へ行くJRと私鉄が運休を食らうこととなり、自力移動で小田原駅に向かえなくなった。「小田原発」の夜行バスが使えなくなったのである。

県内鉄道の運休を昼休みに知った私は、珍しく焦りに焦った。
出発当日のトラブルでは咄嗟の判断が迫られる。既に多くの人が状況打破に動いているだろう最中、採るべきは勝ち筋の多い選択肢だ。
当初避けていたメジャー発着地で望みをかける。ただ、皆 考えることは同じで、割安のノーマル便は軒並み満席。限られた昼休み時間の間に片をつけないと、午後の仕事が始まってしまう。

検索しまくった結果、横浜発京都行きのチケットが取れた。
新幹線の管轄は東京ー新大阪がJR東海、新大阪以西がJR西日本になる。本来なら管轄が切り替わる新大阪(夜行バスは基本的に梅田発着)まで出ておいたほうが無難なのだが、関東民にとって梅田駅は魔のダンジョンである。過去何度も迷子になった。ので、慣れた京都駅にした。
昼ご飯を口にせず、取り乱しながらスマホと格闘する私を、同僚たちは心配そうに見ていたが、日頃の私の旅人っぷりを知っているからか「行くのやめたら?」とは言われなかった。

急遽のプラン変更で予定はガタガタに。態勢を整えるため横浜駅に直行せず、一度家へ帰ることにした。
その帰路の途中だ。
「東名高速封鎖のため夜行バス全面運休」のメールが着たのは。

・幻のプランC「北陸経由広島行き」

メールのタイトルに踊る「運休」の文字。
思わず天を仰いだが、意外と冷静だった。ライブ開催まで、あと一日猶予がある。自棄になるにはまだ早い。
その夜、関東から出られなかった私は、ゆっくり考え、荷物を整え直し、路線図を確認し、熟考の上でルートを決めた。

ここに至り浮上したのは、迷走台風サンサンの暴挙に苦しめられていた多くのビジネスマンたちや鉄道ファンが提言していた「北陸経由」のルートである。彼らは東京ー新大阪の移動を叶えるべく、具体的な乗り換え方法までネットで伝授してくれていた。
折しも3月、北陸新幹線は敦賀まで延伸をしていた。敦賀は琵琶湖の真上。南下して滋賀県を抜ければ京都府だ。幸いにも、長年の旅路を通じて滋賀県の土地勘はしっかり構築されていて、去年11月に北陸旅もしていたため、このルートを採ることに抵抗はなかった。
滋賀を通る湖西線は風に弱いことに定評があるが、ここの区間は特急サンダーバードが頑張ってくれている。もし湖西線が止まっても、東を迂回する北陸本線が通っている。何とかなりそうだ。

この北陸ルート、「時間がかかる」「運賃が割高になりすぎる」と言う点で候補としては当初 優先度が低かったが、こうなったらそうも言っていられない。

なお、関東から名古屋へ向かうルートとしては新宿ー甲府ー松本ー名古屋の「特急あずさ×特急しなの」もある。山梨を経由するこのルートは旅情あふれる車窓が楽しめる反面、走る中央本線には代替線が無い。しかも山間部を走行するため、荒天時は運休する可能性が高い。
北陸新幹線が東海道新幹線のピンチを受け増便していたこともあり、高価だがより安全なルートを採ることにした。
※ちなみに31日は「特急しなの」は運休してしまった

あるいは、羽田から広島まで飛行機を使う方法があったが(これで移動をしたかたも多いと思う)、相手は台風。万が一飛ばなかった時に陸路でリカバリーし切れる自信がなかった。

かくして、31日の早朝。
公式の開催可否発表を待たずに私は家を出た。

【8/31㈯】出陣

私は豪雨で沈黙した神奈川県内のJR私鉄を避けてバスなどを乗り継ぎ迂回し、一路都心へ向かった。

  8:10 ライブ開催決定

移動途中、因島ロマポル2日目の開催決定の報があった。ひとまず胸を撫で下ろす。公式からのアナウンスは
「開催を決定したが、新幹線運休などで参加できない人には払い戻しをする」
というものだった。今思い返しても胸が詰まる。それだけ思いの詰まったライブだったんだと思うと、当てはまる言葉が見つからない。
このとき、「ライブに行ける」と言う喜びより先に「絶対に辿り着く」と言う使命感めいたものが芽生えた。

11:13 大宮駅を出発

北陸新幹線に乗る

都内の私鉄やJRの遅延・混乱を見越して遅めの新幹線指定席を予約したが、意外とすんなり大宮駅へ到着。駅構内をぶらつく。
予約した便は、大宮から金沢へ向かう「かがやき」。北陸新幹線も停車駅によって呼び名が変わり、一番速いのが「はくたか」である。本来なら終点の敦賀まで行く便が最適解だったが、何しろ同じルートを採っている「東海道難民」が大勢いる。席が空いておらず、金沢で「つるぎ」に乗り換える便になった。

さて、日本地図を手元に置きながら旅路を回想する。
大混雑にもめげず、新幹線は大幅に遅延することなく順調に走行。大宮から長野‐富山‐金沢と走っていく。
車中で東海道の沿線状況を確認、敦賀で乗り継ぐ特急サンダーバードの特急券をネットで確保する。サンダーバードは敦賀発で滋賀県西部を回り、京都、新大阪と走る。当初は京都駅まででそこから新幹線のつもりが、このとき米原(滋賀)‐岐阜羽島に雨規制が出ており、JR東海の管区は危険と判断、JR西日本管轄に入る新大阪まで行くことにした。
※通常、東海道新幹線は「JR東海とJR西で直通運転」をしているが、荒天時は始発駅で折り返しすることが多い=新大阪で折り返す確率が高い+名古屋ー(岐阜羽島・米原)ー京都ー新大阪が動いていない可能性を考慮

13:42 金沢駅にて

金沢駅へ到着

定刻より遅れて金沢駅に到着。乗り換えの僅かな時間でトイレに寄ろうとして驚いた。金沢駅にラバッパーが溢れていた。ストラップやリストバンド、はたまたパーカー、カラーシャツ。ポルノファンだと すぐに判る。
驚いたのと同時に、ちょっと感動した。
同じ目的の同志たちが、同じように必死で広島を目指している。その行動力に感じ入ったし、ファンたちがそこまで一生懸命になれるポルノグラフィティって本当に素晴らしいと思った。
端から順番に握手して抱きしめたい衝動に駆られたが(待て)、大人しく乗り継ぎの新幹線に乗り込んだ。
窓際の指定席に座り、折り返しに入った旅程の確認作業に入る。定刻通りに行けば、終点の敦賀駅には14:30に到着する。そこからサンダーバード、新大阪から新幹線を使えば、夕方には福山に着く。

定刻。
……定刻になっても新幹線が動かない。ざわつき出す車内。
車掌さんからアナウンスが入った。

「前を走る車両で異音を検知したため、北陸新幹線の運行を見合わせます。運行再開の目途は立っておりません

サッと血の気が引いた。
混雑による遅延だとか、飛来物除去による一時的な見合わせだとか、そういうちょっとしたトラブルではない。車両トラブルの場合、待避線がない区間なら下手をすると車両が線路を塞ぎ、終日運休の可能性だってある。

非常に、まずい。
今度こそ終わった。

瞬時に脳裏を過る路線図。
金沢駅から西や南に逃げるルートは多くない。新幹線開通で並走路線は多くが第三セクター(民営化)となり、乗り継ぎさえ上手く行けば福井を経由して敦賀まで走りそうだが、もし乗換駅でないところで立ち往生したら厄介だ。
台風サンサンは和歌山県沖へ迫り、いよいよ北陸地方にも雨雲が流れ込み始めている。雨規制に引っかかると動けなくなる。

次に考えられるのは、富山から高山(岐阜県)を越えるアルプスルート。金沢からなら富山へ戻る必要がある。
しかし、こんな荒天時に山間部を走るルートはリスクが大きすぎる。現に、長野県を走る特急「しなの」は運休している。仮に岐阜に辿り着けたとして、名古屋‐岐阜‐米原ルートは先程の雨規制を考えても危険が大きいと判断。無理だ。

頼みの綱の北陸新幹線が沈黙した場合、
「金沢から大阪や神戸行きの高速バスか夜行バスに乗って、翌朝の始発で福山に向かう」
手段が浮上する。主要駅には大抵、三大都市行きの高速バスが発着している。高速道路が使えるかどうかはさておき、金沢なら可能性はゼロではない。

途中下車して次の手を採るか、新幹線の復旧を信じて降りずに乗り続けるか。
背水の陣、究極の選択を迫られた。同じ車内にいるラバッパーたちも顔が引きつっている。隣の席に座っていた外国人の男性も不安げだった。大きなスーツケースを持っていて、おそらく金沢旅行に来たのだろう。切符を取り出し、途方に暮れていた。
迅速な行動も必要だが、さりとて軽挙は避けたい。大事なのは冷静な判断力だ。時刻は、まだ14時過ぎ。そして、代替路線が比較的揃っている金沢駅。旅程としては半分を過ぎたところ。まだリカバリーは利く。

「異音の検知なら原因が分かれば動くかも知れない。待とう」

じっと待つこと10分、乗っている車両の運転再開見込みのアナウンスが入る。ひとまず隣駅の加賀温泉駅までは走る、と言う内容に再び脳内をめぐる路線図。加賀温泉駅なら新幹線の他にローカル線が走っていて逃げ道もある。もしそこで降ろされたら鈍行で敦賀へ行こう。
不安げな乗客を乗せたまま、ゆっくりと金沢発敦賀行きの「つるぎ」が走り出した。

14:30 加賀温泉駅を通過

本来なら旅の目的地にすべき金沢駅から一歩も出ることなく、西へ向かう旅のキツネ。ゆっくり加賀温泉駅へ向かう車内へ、新たなアナウンス。
前を走る、異音を検知した車両が復帰したとの報。運転見合わせは解消し、敦賀までの道が開かれた。
「この車両は敦賀まで走ります。ご安心ください」
力強い車掌さんの声に思わずガッツポーズ。日本の鉄道員さんは本当にすごい。ドッと背もたれに身を預け、過ぎ行く北陸の街を しばし車窓から眺めた。

15:15 敦賀駅

敦賀駅へ到着
現状のターミナル駅なので西への駅名表示が無い

3月に新幹線が開通した敦賀駅へ、車両トラブルの影響で大幅に遅延をして到着。北陸新幹線の遅延を受け、接続するサンダーバードも待ち合わせにより出発時間がずれ込んでいた。
思いがけず一時間ほど時間が空くことになり、駅のコンビニで おにぎりや甘味などを買い、新設の新幹線構内をウロウロ。乗り換えも便利になってて、トイレも綺麗! ここからの延伸も楽しみである。
※軽度の鉄ヲタです

特急サンダーバード

台風の状況や雨雲予報、さらには同行程を先に進んでいるラバッパーたち、既に現地入りしている面々の現状報告ポストを見つつ、先の天候を読んでいく。羽田から広島へフライトした面々も順調に着陸しており、広島の天候は安定していそうだった。こういうときホントにXって便利だし心強い。リアルタイムの情報は旅人には必要なものだからね。サンダーバードは琵琶湖畔を回り、いよいよ東海道へ合流する。

17:38 新大阪駅

新大阪で乗り換え

やっと本来のルート上に来た。天候も落ち着いていて、目立った遅延もなさそう。
台風の影響で乗客がおらず、不気味なほど閑散とした新大阪駅を早足で抜ける。時間に余裕があれば鈍行で進んでも良かったが、ここは素直に新幹線に頼ることにした。新大阪から岡山までは1時間弱の距離。敦賀駅で福山までの乗車券を買っておいたから、新幹線には特急券だけ買えば乗れる。
先行して岡山にいるラバッパーのポストを見て、朝から運休していた山陽方面のJRが動き出したことを知る。何とかなりそうだ。

18:28 岡山駅

岡山駅

いよいよ中国地方入り。
新幹線で新大阪から福山まで行っても良かったが、予定外の出費を伴う遠征である。節約できるところは節約したい。一旦、岡山駅で降りて在来線に乗り換える。岡山は何度も通っているから、安堵感も出てきた。

虹!!!

岡山に着くと、東の空に虹がかかっていた。これは東の方角に雨が降っていること、そして西から日が射していることを示す見え方だ。これから向かう西は、どうやら晴れているらしい。
慌ただしい午前中の旅程を思い返しながら、ゴトゴトと鈍行旅。やがて日も暮れ、窓に自分の姿が映る。
目的地は、もうすぐそこだ。

19:39 福山駅へ到着

福山へ到着

自宅を出てゆうに12時間近く。大宮から新幹線に乗ってから8時間ほど。
福山駅へ到着を果たした。7月に10日間ほどウィークリーマンションを借りて「住んで」いたこともあり、帰ってきた感がすごい。

岡山からの道中、泊まる宿から電話が入っていた。私の住所が関東であることで、フロントが「宿まで来れないのではないか?」と心配してチェックイン可否の確認をしてきてくれたのだ。実際、新幹線ストップで予約のキャンセルもあったようだから、この心遣いは本当にありがたかった。
「今、電車で向かってます。えっと……今、笠岡を出たところなので、もうちょっとですね!」
まるで地元民ムーブだが、岡山と広島は土地勘があるのでお目こぼしいただきたい。午後8時で閉まる福山駅の売店で急いで買い物をし、チェックイン。フロントのかたが遠征を労わってくださった。

福山名物ネブトで乾杯

福山駅周辺にはラバッパーが溢れていて、みんな険しい道中を乗り越えて福山までたどり着いたんだと思うと妙に しみじみしたり。
脇目もふらず、あらゆる手段を模索して実行し、一心不乱に広島県を目指して集ったファンたち。純粋に、すげぇなぁ、と思った。

因島ロマンスポルノ「解放区」

ライブ当日は雲一つない、泣きたくなるほどの青空。台風が連れてきた夏の空気で気温も上昇、酷暑と言う言葉がピッタリな環境だった。倒れたかたを何人も見たし、ポルノのお二人にとっても過酷なライブだったと思う。
でも、因島でのライブは本当に特別だった。空席が目立つかも知れないと心配だったが、会場は観客でギッシリ埋まっていた。またいつか、この場所に集えたらいいね。うん。
この因島ロマンスポルノ2日目の模様は、11月8日から3日間、全国の映画館でディレイビューイングされるので、これを機に皆さん見て欲しい(宣伝)

ライブ終えて翌日、9月2日。
再び一日かけて北陸周りで帰る覚悟していたが、運よく東海道新幹線が全面復旧。我々を苦しめた台風サンサンは前日の正午に熱帯低気圧へと変わっていた。おかげで台風一過の快晴の元、福山から新横浜まで定刻で帰ることができた。鉄道員さん、本当にありがとう!
昼過ぎには横浜に着いており、そのまま帰宅するのも勿体ないな……となり、その足で一人カラオケに行ったことはしっかり書いておく。

【結び ~大遠征を終えて~】

今回の大遠征に関して、自分にここまでのガッツや熱意があったことに正直驚いた。ぶっちゃけ、いい歳した大人である。時には諦める勇気を持つことも大事なことは判っているし、それが賢明なこともある。
実際、様々な要因を加味し、「行かない」と言う英断に踏み切ったかたもいらっしゃった。どんな選択をしても間違いではなかったと思う。

もともと私は史跡などの「動かないもの」をメインに旅をしてきたこともあり、「無理はせず見送る」選択をしてきたことも多くある。
独り旅における金言は
「帰ろう。帰れば、また来られるから」
である。
これは旧日本海軍の木村中将の言葉で、強行突破をしようとする部下を諫めたものである。木村中将は状況を見極め作戦を中止し、誰一人の犠牲を出すことなく帰還を果たした。
独り旅では全責任が自分にある。荒天下での移動は多大な危険を伴い、何かあってもそれは自分の「選択のミス」のせい。周囲の人にも迷惑をかける。
巨大台風が列島縦断の中、関東から広島へ行くなんて正気の沙汰ではない……と言うことを念頭に置きつつ、それでも「決行」したのだから、その熱量の強さがどれだけ凄まじいかわかる。
少なくとも「勝機」はあった。場数を踏んできた旅人としての自負もある。「バカなことをしている」と重々承知だったとしても。

何度も「諦めるチャンス」はあったが、結果として福山まで行けたことは誇っていいと思うし、自分の中の強い気持ちを肯定してあげたいと思う。
仮に2日目のライブが中止になっていたとしても、目的達成のために前のめりに全力を尽くした自分のことは褒めてやろう、と思った。

8月31日、どうにか旅程をクリアして部屋で一息ついていたとき、「うたかた」の歌詞が過った。

あなたまではひどく遠い。だけど足を止められない。
道の途中は目に映らない。辿り着いた先にあなた。
あなただけを捉えられたら。

「うたかた」より

無我夢中で広島を目指した私たち。
少なくとも私にとって「恋」という表現は相応しくないけど、その強い気持ちは尊いんじゃないかな。「ライブに参加したい」よりも「因島でライブをさせてあげたい。是が非でも駆け付けねば」という気持ちだったと思う。武士の忠義心みたいだな、と。
それだけポルノグラフィティが好きってことだね。
夢中になれる大好きなものに出会えたことに感謝したい。

後日、会社の上司に大遠征のことを聞かれ、熱っぽく語った挙句、「諦めずに最後までやり抜く大切さを学びました!」などと小学生みたいな言葉を吐いた私であった。

と言うことで、ドタバタの珍道中でした。
読んでくださった皆様、ありがとうございました!

銀尾でした。

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