災害の多様性「生命軽視犯罪1」
人命軽視時代
「体の大きさは生命観に比例するか?」
近年・・・というか、だいぶ以前から人命を軽んじる凶悪な犯罪が多発しています。人命といえばどのくらいの価値観を感じますか? 生命観というのは体の大きさが関係していると思います。たとえば小さな虫・・・蚊とか小バエであれば殺しても構わないというか殺めてしまったという罪を感じない(感じる方も多いかもしれませんが)。
ところが、虫でも少し体が大きくなってカブトムシやカマキリとなると、殺せば、体が潰れ、体液が飛び散るのを目の当たりにして生き物を殺めてしまった意識が生まれます。しかし、まだ、罪の意識は軽いのです。さらに体が大きくなって、犬や猫ということになれば大変です。これは世間も認めません。犬や猫などは愛護動物ですから殺せば犯罪です。
ただ、繁殖ののちに殺されて食べられてしまう鶏、豚、牛などの家畜動物は可哀想な気がしますね。でも、食べちゃうんですよね。ごめんなさい。
関東大震災直後のどさくさに紛れて、恋人の伊藤野枝と甥の橘宗一とともに甘粕憲兵大尉らに殺害された大杉栄は、子どもの頃に生き物を虐待したのでバチが当たったと言われますね。
僕も子どもの頃に虫やカエルなども殺したし、飼っていた動物に酷いことをしたことがありますから、いずれバチが当たることでしょう。それに若い頃に釣りが趣味でしたから、結果的に魚を虐待してしまいました。ほとんどがルアーやフライといったゲームフィッシングでしたから殺して食べはしませんが、魚の口に釣り針を引っかけて刺して釣り上げるのですから、まあ虐待ということになります。いずれも深く反省しております。
要は、被害生物の体の大きさによって罪の意識が生まれるし、大きければ犯罪につながるということです。
たまに、愛玩動物を虐殺して放置するという事件を起す方々がいますが、あれは、虐待や虐殺を人目のつくようなところに放置することで歪んだ快楽を得るのでしょうね。そして、さらに進展して人命を害する事件に結びついていくのだと思います。
25日(2023年5月25日)の午後4時半頃に長野中野市で起きた市議会議長宅周辺の惨劇は、容疑者の動機はまだわかっていませんが、女性を刺した(死亡しました)あとに目撃者に向って「殺したいから殺したんだ」という容疑者の発言と、その後、駆けつけた警官2人を散弾銃で有無を言わさず射殺して自宅に立て籠もっていた(その後、もうひとりの女性も亡くなっていました)というのは、やはり人の命を軽んじているとしか思えないのです。
のちの報道では「被害者たちに悪口を言われていて腹が立った」という加害者の一方的な恨みによる犯行だといいます。また、警察官2人を射殺したのは「自分が射殺されるかもしれないと思って撃った」というのですね(のちに警官ひとりを刺殺したということもわかりました)。『自分が殺されるのは嫌だけれど、他人は殺しても構わない』という加害者の身勝手な思いは、納得できるものでありません。
もうひとつ、猟銃所持の問題があります。僕はモデルガン集めが趣味なので、実銃の危険さはじゅうぶん承知しています。
害獣駆除のためなのか? 免許を得て猟銃を所持している人は日本全国で約15万人と言います(大日本猟友会サイトを参照)。各人が、猟銃を分解して(分解可能な場合)金属製の丈夫なロッカーに保管、家族にも触れさせない・・・などなど、厳しいルールに縛られています。
昔、千葉に引っ越してきた頃に警官が突然やって来て「隣のご主人は猟銃を所持しているから何かあれば連絡下さい」と言いました。首都圏の田舎で、近くには山林もないのに猟銃を持っているんだ・・・と、少し恐怖感に襲われましたが、それよりも何よりも警官が隣人の個人情報を告げるという方に僕は恐怖しました。
害獣駆除に猟銃を使用するのは仕方がないとしても、バカな凶悪強盗団などに猟銃を盗まれる・・・なんてことが起きたらと考えると恐ろしいですね。
もうひとつ、昨年の秋にタリウムで女子大生を殺害した容疑で逮捕された男は、それ以前の2020年に、自分の叔母にタリウムを盛って殺害しようとしたという容疑でも逮捕されました。いずれも黙秘しています。
近年の犯罪者の特徴は、防犯カメラの映像や、端末に残った犯罪チャットのやりとりなど、確たる証拠があるのに容疑を否定することです。人命軽視どころか、非人間的思考なのです。彼らに常識やモラルなど皆無です。
特に人命を軽視した事件には、特殊詐欺から凶悪強盗団に変貌し、広域強盗を繰り返している輩です。反社会的組織に勧誘されて、ロボットのように操られて民家に押し込む彼らの脳内は「お金が欲しい→強盗」という単純な構造になっているのでしょう。困ったものです。
それは、防犯カメラがアチコチに設置されているのに、強盗事件だけでなく、その他の犯罪を起しても、まず逮捕されるのは間違いないのに軽々しく凶悪事件に手を染めてしまうという現状が物語っていますよね。
「人殺しに罪の差はない」
ここから少し寄り道をします。最近、「歌舞伎役者の親子心中」らしい事件がありました。事件の真相は判明していませんが、この事件によって、ふと思い出したことがありました。
かつて日本には「尊属殺人は無期懲役か死刑」という法律(刑法200条)がありました。尊属殺人は、無期、死刑以外にも懲役刑がある通常の殺人よりも刑罰が重かったのです。しかし、昭和43年(1968)に栃木県矢板市で発生した“近親相姦を強要されていた娘が父親を殺した”尊属殺人によって、法律が見直されることになりました。
被害者である父親は実の娘を性欲の対象として(これは正しい表現なのかはわかりませんが)、子ども5人(うち出産後に2人死亡)を産ませ、夫婦同然の生活を強要されていました。娘に恋人ができて結婚したいと告げると父親は逆上して娘を監禁、その後、「結婚するなら、お前も子どもを殺してやる」と叫びながら襲いかかってきたので、逆に首を絞めて殺害したという事件でしたが、これを刑法200条の対象として刑を下して良いものか?。
これは違憲であるとして、懲役2年4ヶ月、執行猶予3年という判決が下されました。その後、尊属殺人に対する平成7年(1995)に200条は削除されます。
歌舞伎役者による親子心中事件(まだ真相はわかっていません)は、尊属殺人事件ではないと思うのですが、事件を知った直後に、ふと思い出したのです。
「無差別殺人は人間の所業か?」
人命軽視といえば「無差別殺人事件」がありますね。長野の事件も一種の無差別殺人事件と言えるでしょうね。
無差別殺人事件には、「新宿西口バス放火事件」(昭和55年:1980)、「深川通り魔事件」(昭和56年:1981)、附属池田小事件(平成13年:2001)、「池袋通り魔事件」(平成11年:1999)、「下関通り魔事件」(平成11年:1999)、「秋葉原無差別殺人事件」(平成20年:2008)「津久井やまゆり園19人殺人事件」(平成28年:2016)などの凶悪事件があります。殺人事件というか無思想のテロ行為ですね。
新宿西口バス放火事件、深川通り魔殺人事件あたりから通り魔殺人事件と称する無差別殺人事件が多発します。もちろん、それ以前にも無差別殺人事件はありました。それは「人命軽視犯罪2」で書きますので、よろしくお願いします。
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終りにChatGPTに「無差別殺人事件に関する記事を書きたいのですが、どのように書けばよろしいですか?」と聞いてみましたので、GPTの回答を転載しておきます。参考にはしませんでした(笑)。