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なりたかったもの

*写真中央で笑って革靴を履いているのが僕です。小学校の6年生になったくらいかな?

子どもの頃は「パン屋さん」になりたかった。パンが好きだったからだ。

小学校高学年になると漫画雑誌ガロやCOMを読み出すと、漫画家になりたいと思った。当時は手に入りにくかったGペンやケント紙を買ってもらって、机の上に製図板を斜めに置いて、左右にインクや筆や羽箒を並べて漫画家気分だけを味わった。実際に漫画を描いたことはなかった。

高校生の頃は探偵小説に凝ったことから推理小説家になりたいと思った。まともな文章が書けなかったが、幻想小説のようなものを書いて小説賞に応募したり

大学に入って吉田拓郎を聴いてフォーク歌手になりたいと思い、それからハードロックやプログレッシブロックを聴いてエレキギターやベースを弾き出すと、今度はギタリストになりたいと思うようになった。

大学を辞めて、何もやることがなくなると、画家がやっていた絵画私塾に入り、漫画のようなモノを描きだした。当時としては高い稿料をもらった新聞イラストの仕事もやってみた。

でも、絵の下手さを実感すると、レコード屋や百貨店で働いて金を貯めてカメラを買った。写真ならデッサンもパースも狂うことない。荒木経惟や森山大道、木村伊兵衛、東松照明に篠山紀信などの影響を受けるとカメラマンになりたいと思った。

そのうちに一応社会人として業界誌で働くようになって、職を転々として、仕事として文章を書き、写真を撮るようになった。写真はともかく、文章は下手だった。人並み以下の文章力だったので、何人もの編集長から「文章を書くのをやめろ」と言われるほどだったが全然気にならなかった。

そのうち広告営業に左遷されると思わぬ能力を発揮した。広告が貰えなくてもニコニコして雑談するだけの営業だったが「また来たのか?」と呆れられ広告が貰えるようになった。そのうちにいくつもの企画が当たって、それなりに稼いでくるようになった。営業力は父親譲りだ…と思っていたら、単にその時代が良かっただけのことだった。気がついたらお客は少なくなっていた。そして、僕には何の能力もないということに気がついた。

自分の能力のなさに気がつくと気が楽になった。会社を辞めてあっという間に60歳を越えると「何かになりたい」と思うことはなくなった。だって、今さら遅いよ、晩年だもの。

夢は、若いうちに叶えた方が良いと思いますよ。でも、政治家にだけはならない方がいいですよ。


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