明日のカルチャー課題
明日は自分が生まれ育った家の図を描いてみることと、その家での記憶を箇条書きで書き出してもらうということをします。
僕は福島県のいわき市で生まれましたが、そのいわき市での記憶は全くありません。それから4歳くらいから6歳くらいまでを同じ福島県の県庁所在地福島市で暮らしました。
当時住んでいたのは2階建てのアパートで、僕たちは1階の端っこに住んでいました。アパートの裏には「弁天山」という山があって、僕は、ひとりでその山にのぼって福島市の町を見渡した記憶があります。弁天山には椿が多く植えられており、別名「椿山」とも呼ばれていました。のぼる途中で、椿の実を美味しそうだと思って囓った記憶もあります。味は忘れましたが、ネットには渋みがあると書いてあります。
その弁天山の麓には小さな祠と鳥居が据えられていました。僕は子ども心にそれがものすごく怖かったのです。その神社の近くには食料品を売っている雑貨店があって、良く買い物に行ったのですが、そのおっかない神社を通らないと雑貨店に行けなかったのです。夕方に父に連れられて雑貨店に行くときにその神社の前を通るのがもの凄く怖くて、父の体にすがって震えていました。最近になってネットで調べると養蚕のための神社だということがわかりました。
弁天山には安寿と厨子王が暮らしていた館の跡があったり、山の裏手には動物園のものかどうかわかりませんが、大きな鉄製の檻が捨てられていたりしている環境からか、子どもの頃は主にこの福島時代に不思議なことが起きました。
ある日、僕は畳の部屋に寝転がって壁のハンガー掛けに掛けてあった父の上着の袖の中を覗いたことがあります。すると、袖の中に中年男性の顔だったのです。男性はニヤニヤと笑っていました。昼間でしたから父は会社に行っており、留守でしたから男性がいるはずはないのです。そんなことよりも上着の袖は肩の付け根が行き止まりですから、上から覗いても見えるはずがないのです。
近くに精神病院があって、ある日、そこの入院患者さん複数人が脱走したときは大騒ぎになりました。「外に出るな!」という声がスピーカーで地域に流れました。僕と母は、近所の知人宅にいて、その2階から患者さんたちが踊るように歩いて行くのを見ました。夕方でしたから夕陽に照らされた彼らがとても美しく見えました。
って感じのことをカルチャースクールでやろうと考えています。