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災害の多様性「戦争はいけません」
8月15日に放送された「徹子の部屋」を観ました。そのなかで江戸屋猫八さんの話が強く印象に残りました。猫八さんは、8月6日に広島で被爆。38年目に被爆者手帳を取得しました。
以下、番組の話を整理しました。
原爆投下当時、兵隊で爆心地から2キロほど離れた港で被爆した。原爆投下後の被災地の始末をするという任務があった。炸裂する瞬間、晴天であり、原爆の炸裂光は、それ以上に明るかった。白い光線でパーッと明るくなった。表に飛び出した瞬間にドーンという音がして後ろから爆風がブワッときて2mほど吹き飛ばされた。「何だかわからないけれど怖かった」臆病でしたからすぐに防空壕に入って出ていかなかった。そこに表で作業していた班長や兵隊たちが戻ってきて「岡田はどこに行った?逃げたな?」と騒いでいる。そこに「私はここにおります」と言って防空壕から出た。呆れた班長が「表に行って見て来い」と言われて兵舎の外に出た。
表に出ると・・・。
真っ黒に焼けただれたお母さんが赤ん坊を抱いて、老若男女が右往左往している。川の中では人が、(時間が止まったような)逃げた形のままで死んでいる。今思い出しても泣けてきますよ。そりゃもう20何万という人たちですよ。何の罪もない人たちですよ。
街中を片付けに行くとね、火傷で爛れた多くの人たちが道に寝かされている。中には目が見えなくなった人もいる。その人たちが僕ら兵隊の足音を聞くと、僕に「兵隊さん、助けて。お水ちょうだい」って言うんです。軍医に「水をあげてもよろしいですか?」と聞いたら「いかん」と言う。水を与えたら、そのまま亡くなっちゃうでしょ?
でも、もうこの人たちは助からない状態であることがわかるので、軍医に目で合図をしながら(暗黙の了解をとって)水を与えたんです。そしたら「兵隊さん、ありがとう。美味しかったです」と言って何人も息を引き取ったんです。今だから言えますが、その人たちが僕の手を握りしめて「兵隊さん、仇をとってください」と言ったんです。それから遺体をトラックに積んで堤防に積み上げたんです。どうしようもないでしょ? それから積み上げた遺体にガソリンをかけて荼毘にふしたんです。
ですからね、再び戦争をやっちゃいけません。戦争はいけません。