災害の多様性「戦争災害3 空襲の時間」
以前も戦争は人工災害であると書きました。戦争は最悪の人工災害です。その人工災害のなかで最悪なのが一般市民への空襲攻撃(もちろん核攻撃も含まれます)です。戦争を始めた者だけで戦えばいいものを、一般市民を洗脳して巻き込んだ挙げ句に、その一般市民が標的とされるからです。
ロシアによるウクライナ侵略では、就寝時にミサイル攻撃を行なっているそうです。眠れませんね。夜間攻撃の目的は殺戮だけでなく、一般市民を疲弊させ、戦意を喪失させるためです。太平洋戦争時に行なわれた米軍による東京、大阪などへの首都圏大空襲もそうでした。
太平洋戦時の東京大空襲は、夜間に焼夷弾攻撃が行なわれました。当初の爆撃目標は、軍需工場や関係施設でしたが、昭和20年(1945)に入ると、一般市民への無差別爆撃が行なわれるようになりました。まずは一般市民の戦意を失わせることを目的として、大都市への焼夷弾絨毯爆撃が行なわれたのです。昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲では、B29(ボーイング B-29 スーパーフォートレス)約300機が江東地区(隅田川の東側の都市化した地域を江東地区と呼んでいました)へ、超低空飛行で飛来し、約2時間半の爆撃で8万人におよぶ犠牲者を出したのです。
大阪大空襲は、以下引用文のように、大阪の都心部を取り囲む住宅密集地を狙って、昭和20年(1945)3月13日の23時57分から翌午前3時25分の4時間近くB29による空襲が行なわれました。ナパーム弾(主燃焼材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加し、ゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾)やクラスター焼夷弾(ナパーム弾同様にナパームを用いる。通常の空対地爆弾とほぼ同サイズのケースの中に、小型爆弾や地雷で構成される数個-数百個の子弾を内蔵する)を投下して大阪の街を焼き払ったのです。
広島への原爆投下は、昭和20年(1945)8月6日(月曜日)の午前8時15分、長崎への原爆投下は8月9日(木曜日)の午前11時02分(アメリカ軍の記録による投下時刻は午前10時58分)でした。
広島では上記文章の通りに、夜中の空襲警報から早朝の警報と、熟睡する暇もなかったところに原爆が投下されました。
長崎への原爆投下は、当初、長崎ではなく福岡県の小倉が目標でした。原爆を搭載したB29は、午前9時44分に福岡県の小倉市(現北九州市)に到達していましたが、小倉付近は靄(もや)と煙で覆われており、視界不良のため投下を断念したといわれます。前日に行なわれた八幡大空襲による火炎の煙が視界不良の一因となったと言われています。自分たちで行なった空襲によって予定が変更されたのですね。B29は、それから第2目標だった長崎に移動して10時50分に長崎に到着して、原爆を投下したのです。
戦争は人類最悪の人工災害です。避けられない自然災害と違って、人間の意思によって「戦争しないこともやめることも」可能です。戦争なんてやらなきゃあいいのですが、権力を持つ者がオオバカであれば「不況を脱するため」とか「民族間紛争」とかくだらない理由ですぐに始められるのです。歴史を振り返れば「ほとんど自意識のない国民」が巻き込まれて戦争になるのです。結果的に一般市民の大虐殺が行なわれた挙げ句に国土を占領され、資産まで奪い取られるのです。日本なんか昭和20年から米国に占領されたままになっています。沖縄だけでなく日本各地に米軍基地があるからわかるでしょう? 米軍基地は日本を守るためにあるんじゃないんですよ。人工災害に巻き込まれないように洗脳されないようにしましょうね。
追記
僕の母も敗戦の直前の8月10日の午前に岩手県一関市の駅構内で空襲に遇いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?