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百物語14「鏡」

本当の話だから面白くはない。

鎌ケ谷大仏駅の側に八幡神社がある。参道には百庚申と呼ばれる無数の庚申塚がある古い神社だ。

僕は鎌ケ谷大仏駅の駅ビルにあるカルチャースクールで講師をしていて、その帰りにこの神社に参拝している。神も仏も信じてはいないが、長く続いてきた歴史遺構として手を合わせて拝む価値があると思っているだけだ。

八幡神社は、以前、鬱蒼とした林のなかにあったが、数年前に全ての木が切り取られて、神社の本殿や百庚申が太陽光に晒されている。そのために神社としての威厳が少しなくなってしまった。

その日もスクールの帰りに神社に行った。境内に入ると百庚申の中に猫がいて「ニャア」と鳴く。この猫は境内でよく見かける。毛色は珍しい「サバトラ」で、見た目から受ける印象は、比較的若い猫のように思う。

しゃがんで猫としばらく遊びながら本殿を見ると、女性の姿が見えた。拝み終えて本殿のなかを覗きこんでいる感じだ。しかも、僕が猫と遊んでいる時間中、じっと同じ格好で覗いている。

「何をしているんだろう?」

猫と遊び終えて参拝しようと立ち上がると女性が歩いてくる。
気になったので「何をしていたんですか?」と尋ねると「本殿の中にある鏡を見ていたんです」と答えると、そのままゆっくりと参道を歩いて神社から出ていった。

参拝を終えて女性が言った本殿の中の鏡を見た。暗い本殿の中はよく見えないが鏡だけが怪しく光っている。丸い鏡の中には拝殿の木枠が映っているばかりで他にはなにも見えない。

神社の鏡は天照大神の「天岩戸」神話からなっているそうだ。天照大神が天岩戸に閉じこもって世界から太陽光がなくなってしまったので、岩戸の前で天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊ってお祭り騒ぎをすると「何事?」と岩戸を少し開けた天照大神に鏡(八咫鏡。三種の神器のひとつ)を見せて「尊い神が現れた」と勘違いさせて、岩戸の外に引っ張り連れ出してという神話だ。

このことから神社の鏡には「自分を映す」という意味もあるそうで、先ほどの女性は、何か悩みでもあって、鏡の中の自分自身を見たかったのかもしれないが!残念ながらこの神社の鏡は自分自身を映し出す角度に置かれていない。鏡の中には拝殿の木枠だけしか映っていないのだ。

「何か見えますか?」背後で声がしたので、ふりかえると、先ほどの女性が立って笑っていた。

驚いた。ただそれだけの話だ。本当の話はつまらないものだ。

ただし、神社の参道は、入り口から本殿まで距離があり、神社から出ていった女性が戻ってくるにはかなり時間がかかるはずなのに瞬間移動したようにあっという間に戻ってきた。僕は、それに驚いて、女性が何を見ていたのかは聞かずに神社をあとにしたのでモヤモヤしているのだ。


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