百物語5「辻斬り」
生涯に81人を斬ったという侍がいた。神田佐久間町にあった佐竹藩の中屋敷に暮らしていた佐竹藩士の岡部菊外という男だ。
人を斬るのが飯より好きな彼は、新刀を買う度に「七人を斬ってみなければ刀の本当の切れ味がわからない」と言っていた。彼の刀には血糊が付き、これが刀の柄に染み付くと、柄が腐ってしまうので、刀の柄巻師へ次々に刀を持ち込む。
しかし、辻斬りというのは通り魔か無差別殺人鬼のことだ。侍だから殿様だからといって試し斬り(人殺し)をして良いはずがない。
岡部は神田美倉橋の脇にあった風呂屋、馬場湯に通っていたが、湯銭を払わない。それが当たり前のようになっていたから腹を立てた馬場湯のおかみが「湯銭は現金というお触れがあるから払ってください」と言うと、おかみを睨み付けてから高飛車に「ああ、払ってつかわす」とようやく湯銭を払った。
しかし、腹の虫がおさまらない。「ようし、みてやがれ」岡部は、その晩、わざわざ小塚原まで出かけていって、処刑された死体を掘り返して腕を切り落とした。これを馬場湯の湯船に放り込んでやろうというのだ。
急いで自宅に戻ると、肩から切り落とした腕は、かさばってしまうので、台所で手首だけを切っていると、母親が覗きに来た。母親は息子が腕を切っているのを見て驚いた。「お前、何をしているんだい?」と言うと、岡部は「魚の餌にするんです。コレを水の中に入れるとよくわかりますよ」と意に介さない。
翌朝、手首を手ぬぐいに包んで馬場湯に持って行き、それをこっそり湯船まで持って入ったが、客は3人しかいなかった。そのうちに客が集まり出す。人がたくさん入ってきた頃をみはからって岡部は切り落とした腕を湯船に浮かせてから着替え場に行って着物を着はじめた。
湯船では手首を見つけた客のひとりが「おい、手首が浮いてるぜ」と大声を出した。他の客が「バカな、作り物に決まってるじゃねぇか」と笑いながら手首をつまんで洗い場に投げた。明かり窓からの太陽の光が手首を照らす。客たちが手首を凝視すると「うわ、本物だっ!」と大騒ぎになった。それを見た岡部は、ニヤリと笑い溜飲を下げた。その後、馬場湯は「化け物湯」と噂されて一時は寂れたが、人の噂も七十五日、潰れはしなかった。
さて、岡部だが、その後も辻斬りをやめることはなかった。ある晩、上野松坂屋の土蔵の裏で按摩を斬ったが、その按摩が死ぬ間際に「目の見えぬものを斬りやがったな。お前の家を祟ってやるから覚悟しておけ…」と言った。その声が耳から離れなくなって、とうとう岡部は得体の知れぬ病気に罹って死んでしまった。
岩波文庫「幕末百話」より
*佐竹藩の屋敷は、天和2年(1682)の大火で焼失して、神田から下谷に移った。その跡地は今でも「佐竹商店街」(扉写真)として存在している。ちなみに佐竹藩は今の水戸を含む茨城県周辺を領地としていたが、関ヶ原の戦いで徳川に与しなかったことから慶長7年(1602)に、みちのくの秋田に移封された。佐竹藩は領民に慕われていたようで、移封後に「秋田の美人、水戸の不美人」、「茨城沖に生息していたハタハタが主人を追って秋田沖に移動した」などと言われるようになった。