シルバー人材日記「11月1日の不運」
「不運の連続性を断ち切れ!」
「不運(不幸)は連続する」と、よく言われます。腹が立つほどの迷信ですが、今は不運続きです。
かみさんの乳がん手術は今月末に決まりました。ステージ0というからには手術をすれば生命の危険はないと思われますが、そのために両方の乳房を失ってしまう代償は大きいのです。今はそれを克服して手術に望もうと精神的な準備をしているときなのです。
この日(11月1日)は、シルバー人材センターに10月分の業務報告書を提出しに出かけようとしていました。11月1日・・・いい日・・・とんでもない、最悪の日になりました。
出かける準備をしているときに僕のスマホが鳴りました。画面を見ると妹からの着信のようです。電話に出ると、聞いたことのない男の声が聞こえました。妹を拉致した匿名流動型犯罪者か?不安になりました。
「ワタナベさんでしょうか?」
「はい」
「わたしは○○救急隊の○○と申します。セツコさんのご家族でしょうか?」
「はい、僕の妹です」
「ああ、連絡できてよかったです。実は妹さんが会社で倒れまして、現在、病院の受け入れ先を探しているところなんです」
「妹が倒れたんですか?」
「はい、はじめは新宿百人町の○○病院に搬送したんですが、妹さんは脳出血を起されたようなんです」
「ええ!」頭が真っ白になりました。僕は滅多に泣かないのに涙がポロポロと湧き出してきました。
「それで・・・」
「はい、初めの病院では治療ができないというので可能な病院に連絡しているんです」
「それで、妹は無事なんですか?」
「はい、現在は私たちの声にも応答して、話もされていますが、なにぶんにも悩内の出血なので・・・」
「わかりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「承知しました。受け入れ病院が決まりましたらすぐに連絡させていただきます」
「よろしくお願いします」
電話を切りました。慌てています。気が動転というのでしょうか? 父の訃報に、母が定期検診で突然余命を告げられたときや、かみさんの乳がん罹患のときよりも大きな衝撃が僕の精神にダメージを与えているようでした。
妹は、父(心不全で死亡)母(脳梗塞を発症後に相模原のリハビリ病院に通院していましたが、定期検診で肺がんが見つかり余命3ヶ月と告げられて、ぴったり3ヶ月で死亡)が亡くなってからは神奈川県の小田急江ノ島線沿線の街でひとり暮らしをしています。ひとり暮らしは危険なので、毎晩の電話連絡で互いの安否確認をしています。
妹は、東京にある会社で若い頃から働いています。初めは社長秘書でしたが、その社長が亡くなってからは総務部に異動して働いています。妹が働く会社は当初は初台にありましたので、新宿で京王線に乗り換えればいいのに小田急の参宮橋から徒歩で通っていました。これがかなり距離があるのです。無理をしていました。
会社が初台から中野坂上に移ってからも、新宿経由で丸ノ内線に乗り換えて会社通っていました。初台時代から朝の通勤ラッシュを避けようと誰よりも早く出社する習慣がついていました。そのために早朝の4時半に起きて5時台の小田急線に乗って通っていました。午後8時半頃に帰宅してから寝るのは午前12時頃と言っていましたから、睡眠時間は4時間強ですね。やはり無理をしていたのです。かなりのストレスも抱えていたに違いありません。
これは妹が働く会社が悪いわけではありません。誰よりも早く出社せよなんて会社はありませんからね。妹の自己管理責任です。真面目で実直な彼女の性格によるものです。
僕は前日(10月31日)の夜にも安否確認の電話をしました。かみさんが二度目の乳がんになってから、僕には危険を報せる動物的な勘が何かを訴えていました。
「身体に異常はないか?」
「ないよ、大丈夫」
「お前はひとり暮らしなんだから、そこで何かあっても迅速な対応はできない。誰も救ってくれないんだよ。千葉に住んでいる俺に連絡されても、すぐに行けないし、ましてや真夜中だったら、貧乏な俺はタクシーを飛ばして駆けつけるなんてことも無理だ。だから身体に異常があったらすぐに報せろ。お前の地元の消防署に電話して救急車を頼むからな」
「わかったよ、そっちも気をつけてね」というような会話をしていました。
「新宿まで不安渦巻く」
「何だかイヤな予感がしていたんだ」とかみさんに言いました。
シルバー人材センターに業務報告をしてから船橋経由で新宿に向うことにしました。シルバー人材センターは電車でひと駅の市役所脇にあります。それにしても役所というのは何で遠くにあるのでしょうか? 駅前に建てりゃ周囲に批難されるってことかもしれませんが、それにしても遠い。それをこの日ほど実感したことは今までありませんでした。
この途上で救急隊から連絡がありました。
「新宿にある大学病院が受け入れてくれたので、今からそこに搬送します。病院の住所は・・・」
「大学病院はネットで調べるから大丈夫です。病院のどこに行けばよろしいんでしょうか?」
「はい、救命センターに行ってください。救急搬送された旨を伝えていただければ大丈夫です」
「わかりました。このたびは本当にありがとうございます。で、妹は大丈夫でしょうか?」
「はい、意識もあり、会話もできていましたので大丈夫なように見えました。ただ、脳出血なので詳しい病状については病院にお尋ねください」
「わかりました。すぐに向います。本当にありがとうございます」
シルバー人材センターで業務報告書を渡してから、かみさんの乳がん手術によって仕事を調整する話をしたあとに “妹が脳出血で病院に運ばれて、これから東京に向う。そのために仕事の調整が必要になるかもしれない” 旨を伝えました。
「不幸は続くんだよね」と僕が言うと「そうなんですよね」と頷く担当者。
シルバー人材センターをあとにしてから急いで地元の駅から船橋経由で東京駅に向います。東京駅からは丸ノ内線で西新宿に向います。
西新宿に着いたのは午後3時を過ぎていました。妹が搬送された大学病院はその駅前にありました。若い頃に住んでいたのは新宿区でしたし、この近所の十二社にあったブラック企業で働いていた事もありましたから、ここら辺りは、ありきたりな表現ですが「庭のようなもの」であるはずなのに、若い頃の風景とは全然違っていました。その大学病院は高層で巨大で怪獣のような迫力がありました。病院内も、もの凄く広くて迷路のような感じでした。
受付に行って事情を説明すると、「防災センター受付から入ってください」と言われました。防災センター受付が救命センターの受付を兼ねているようです。少し迷ってから防災センターの受付に行って事情を説明すると「中に家族の待機所があります。そこにインターホンがありますからボタンを押して看護師を呼んで下さい」と言われました。
家族待機所に行くと、ひとりの女性が椅子に座っていました。他の患者さんの家族かと思いました。
インターホンを押して「救急搬送されたワタナベの家族です」と言うと、「お待ちください」と返事が返ってきました。すると、椅子に座っていた女性が立ち上がって「ワタナベさんの弟さんですか?」と言います。他の患者さんの家族ではなく妹の会社の同僚の方でした。
「いえ、兄です」と言うと「ああ、よかった。ワタナベさんの会社の者です」
「あ、そうでしたか、このたびは妹がご迷惑をおかけしまして本当に申し訳ありません」
「いいえ、とんでもありません。大丈夫です」
「妹は会社で倒れたんでしょうか?」と聞くと、
「はい、会社でお昼ご飯を一緒に食べてから互いの部署に戻って仕事をしていると、ワタナベさんの部署内で慌てて何かを話しているので気になって見に行くと、ワタナベさんが椅子にもたれかかって苦しそうにしているんです。それで急いで救急車を呼んで、私も同行したんですが、ワタナベさんのご家族のことを誰も知らないので、どうしようということになって・・・」
「申し訳ありません」
妹の緊急連絡先が死んだ母親になっており、誰も僕のことを知らないのです。
「それで救急の方がワタナベさんの携帯電話でお兄さんに連絡してくれたんです」
「ああ、申しわけありません・・・」
「それでは会社に連絡してきますので、少し出ますね」
「はい」
しばらくして女性が戻ると「会社に戻りますので、お任せしてよろしいでしょうか?」
「もちろん、お戻り下さい。今回は本当にありがとうございます。ここまで妹についてきていただいて感謝しています。助かりました」
女性が出て行ってしばらくすると、ひとりの看護師が入ってきて「弟さんですか?」と言います。中身の頼りなさが見た目に現れているのでしょうか?どこに行っても弟扱いされるのが常になっています。
「いえ、兄です」
「あ、申し訳ありません。妹さんはくも膜下出血ということで、これから6階のEICUで緊急手術に入ります」
「で、状態はどうなんでしょうか?」
「詳しいことは、のちほど医師から説明しますので、少しお待ち下さい」
「はあ」
「それから、妹さんから私の兄は経済的に厳しい人なのでと言われましたので、入院時に担当者とお話していただければと思います」
(あの野郎、自分の緊急時に何てことを言うんだよ。恥ずかしいけど本当のことだから仕方がないけどね。多分、入院のことではなく、千葉から病院までの交通費もないと思っていたんだろう。そんなに貧乏じゃねぇし・・・)
「はあ、わかりました。お恥ずかしいことです」
看護師が部屋から出てしばらくして別な看護師が入ってきました。大きな白い紙袋を持っています。
「こちらが妹さんの着用していた衣服と下着、かばんになります。一緒にご確認下さい」
下着があるのでかみさんに確認してもらいました。
つづく