夢の風景「九龍地獄横丁」完
「お孫さんを連れて来ましたよ」
地獄横丁の喫茶店「ヘル」に戻ると厚化粧の婆さんに言った。
「ん?婆さん、化粧してないじゃん」
婆さん、化粧を落としたのか?まるで別人じゃないか?
「普段は化粧なんかしてないよ」
「婆ちゃん、ごめん」孫が泣いている。
「ありがとう。助かったよ。まったくお前は何をしていたんだい?」
孫の頭を叩きながら言った。
「同級生が模型屋の双子姉妹でさ・・・どっちかはわからないけど、一目惚れしちゃったんだ」
「どっちかわからなくていいのかい? 双子だって、姉か妹とかの区別つくだろう?」
「あの双子は、人を人形に変えてしまう化け物だから無理ですよ」
「化け物?」
「まあ、いいさ。約束通り、塔への抜け道を教えてやるよ」
「双子の化け物にこれをもらったんですが・・・」と言って黄泉がえりの目薬を出す。
「おお、これは凄い。初めて見たよ。これで黄泉がえり坂から塔に行けるんだね」ヘル婆さんは頻りに感心している。
「地獄横丁も土津地域も詐欺師ばかりだから、これから毒を飲まされたりするかもしれないから、この毒消しを飲んでおきな」
ヘル婆さんは丸薬をひとつ手のひらに載せて僕にすすめる。
「これも毒じゃないの?」
「人聞きが悪いことを言うね。あたしの顔に見覚えがあるだろう?」
「あ、書店婆さん!」
「あたしは八百屋も漢方薬屋も手広くやっているんだよ」
地獄横丁の婆さんは、すべて書店婆さんだったのだ。まあ、意外でもないがね。
「ありがとう。じゃあ飲むよ」
薬を飲んだらすべて妄想のような気がしてきた。
「さようなら、元気でね」書店婆さんが言った。
さようなら?どういう意味だ?
サーカスの古いポスターが記憶に蘇ってきた。
「あ、父さん、母さん・・・」
懐かしい写真が記憶に蘇ってくる。
黄泉がえり坂をのぼっていく。黄泉がえり坂は黄泉比良坂なのだと自覚してのことだ。
山頂までは、まずは温泉街の長い階段をのぼるんだ。
忘れていた“黄泉がえり目薬”を差さなきゃ。
階段の先は草原だ。草原を抜ければ塔がある・・・否、あるはずだ。
目の前に山頂が見えるが、塔はない。
振り返ると地獄横丁の街灯りが僅かに見えた。
僕はさらに坂をのぼって行く。
所詮、塔は幻だ。辿り着けるはずがない。