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東京万景 新宿編「兄であり夫である僕は疲れるんだよ」

妹が初めに搬送された百人町の病院。土地柄、外人さんが多いので、英語が話せる事務員が数人いるようだ

救急搬送された最初のH山記念病院で脳のCTを撮って「くも膜下出血」だと判明して、そこから西新宿のT京医科大学病院に搬送された。

精密検査の結果、脳動脈瘤がふたつあり、いずれからの出血か判明しないので、太股からカテーテルを差し入れて血管内を通して脳動脈瘤ふたつにチタンの糸を巻き入れて塞ぎ、瘤の中に血管が通らないようにした。同時に術中に出た血の塊(血栓)を抗血栓薬で溶かすことも併せて行なった。これが5時間以上の手術となった。

T京医科大学病院

しばらくはEICUで経過観察を行なうことになる。血栓の溶解を行ないながら、塞いだふたつの瘤観察と、血管のれん縮(血管が縮むこと)が起らないように観察。忘れてはいけないのが脳内に溜まる水で「水頭症」を発症しないように脊髄から管を入れて水を抜くことも併せて行なっているということだ。

搬送された11月1日は、僕たち夫婦はEICUに運ばれる直前に妹を見ただけで、その後、EICUの待合室で待機するだけしかできなかった。結局、終電近くの電車で無事に帰宅できたが、ヘタをすれば新宿の街を夜明けまで放浪するしかなかった。何故なら貧乏だからそこら辺の宿(2万円から5万円以上である)に泊まることもできないし、自宅近くの駅までタクシーで帰るなんてことも不可能なのだ。

昨日、入院手続を済ませた。

翌日も病院に来たが、妹の意識は朦朧としていて、「俺がわかるか?」という問いに頷くものの、声を発せず、ただただ泣くばかりだった。

翌日は僕ひとりで面会。妹の意識は普通で、初めは泣くものの、そのうちに精神が安定していて、言語の障害もなく、はっきりと答えることができた。僕の馬鹿な話にも呆れるとか感情も豊かで、手足も動かしていた。ただし、手足に点滴、さらに水を抜く脊髄ドレンなどの重要な管が差し込んであるため、手足でそれらを抜いてしまわぬようにと手には医療用ミトンがはめられている。足も緩やかに固定されている。

面会時間は午後2時から4時までの間の30分だけで、EICUには親族以外は入れない。一刻も早くEICUから一般病棟に移ってほしいものだ。そうなったら面会時間も長く取れ、親族以外でも面会できるようになる。

その翌日にはかみさんと一緒に面会した。大久保駅で降りて妹が初めに搬送された病院でCT撮影などの精算を行なってから、歩いて大学病院に向かった。

防災センター受付で面会証をもらってから、一度、6階のEICUに上がって看護師から診察券をもらった。それから、1階にある担当窓口で入院手続を行なった。

午後2時少し前に再びEICUに上がって、2時ちょうどにインターホンで「面会に来た」旨を伝えてICU内に入って妹の部屋に歩いて行く。EICU内には50名以上の看護師たちが働いている。妹同様にたくさんの機器につながれた入院患者が10名以上いるから、それだけの数の看護師が必要なのだと言う。

妹部屋に入ると、妹は目を瞑って眠っているようだった。看護師が「ワタナベさん、お兄さんが来ましたよ」と言って起すと、妹は泣いた。

「泣いてもどうにもならないよ、身体の水分がもったいないから泣くな」なんてメチャクチャなことを言って頭を撫でた。

乳がん手術をしなければならないかみさんを見て、妹は「○○ちゃん、手術いつだっけ?」と言った。「27日です」と答えるかみさんを見て妹は泣いた。妹はかみさんの手術後に見舞いに来るつもりだったからだ。しかし、泣きたいのは僕の方だ。かみさんは松戸の病院で手術後に入院するし、その際にも妹はまだEICUに入っているかもしれないから、僕は松戸と新宿を行き来しなければならない。それだけでなく、当然、その間には少ない仕事もこなさなければならないのである。

たいしたことはないが、疲れた。これからかみさんが乳がん手術をすることになるからさらに大変なことになるだろう。どうせならばかみさんもT京医科大学病院で乳がん手術をすりゃいいのになんて無責任なことを考えてしまう。酷い兄で、酷い夫であるが、辛いのは辛いのである。

EICUの待合室、親族しか入れない


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