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骨を食らう女(再掲載)

その日、僕は仕事で荻窪に出かけた。仕事が済んだのは午後9時。荻窪駅のホームに上がる階段をゆっくりと歩いていると、ちょうど黄色い総武線の電車がゴトゴトと走ってきたので、僕は階段を踏み外しそうになりながらも電車に飛び乗った。

電車は津田沼行きだった。電車は荻窪駅から千葉方面に向かって走る。お茶の水で乗り換え不要の中央・総武緩行線だ。

20代に新宿区上落合に住んでいた僕は、東中野駅も最寄り駅のひとつだったので、特に八王子から新宿までの沿線の街にはそれぞれに思い出がある。車窓から見える夜の街の灯火を懐かしく眺めながら過去を振り返ってみる。思い出深い街が途切れると、電車は新宿駅に到着し、疲れ果てた人たちをごくりと呑み込む。疲弊した乗客たちの息遣いが電車の中に充満する。一気に社内の空気が澱む。

その後は何事もなく電車は四ツ谷駅に着いた。ここでも勤務を終えて疲れ果てた乗客たちがどっと流れ込んでくる。

彼らは座りたがる。疲れているのだから仕方がない。誰もが仕事帰りという平等な立場にいるのだから、電車代の元をとろうと一駅でも座りたいと思うのは当然のことだ。時にはそれが醜悪に映ることもある。

人間は不思議なもので、自分の醜さを他人に置き換えてその気を感じることができる。僕は、その人間らしい醜気を感じないために目をつむって寝たふりをする。真夏の暑い空気が電車のドアから滑りこんでくる。暑い空気とともに何かが侵入してきたような気がした。同時にバタバタという乱暴な足音がしたので薄眼を開けてみると、僕の座る前に、異様に背が高く痩せた女性が立ってつり革を掴んで左右にブラブラと揺れている。髪の毛が長く、顔を隠すように垂れ下がっているので、表情は見えない。

女性の左手にはコンビニのビニール袋が垂れ下がっている。女性が落ち着きがないからなのか彼女がぶら下げているビニール袋がガサガサガサ・・・と大きな音をたてている。電車が動き出す。満員の乗客で膨らんだ電車が四ツ谷駅を出ると、乗客たちが揺れる・・・。僕の前に立った女性は座りたいからか周囲をキョロキョロと伺っているようだった。

しかし満員の電車では座ろうにも乗降客の多いお茶ノ水か秋葉原までは無理だろう。僕は女性の異様な視線を感じながら眼を閉じた。女性はどうしても座りたいようで、僕に向けて「お前が早く降りて席を明け渡せ」という気を全身から発しているような気がした。

彼女はコンビニのビニール袋をガサガサと動かす。僕は「俺は船橋まで降りないよ」と心の中で呟く。すると…その呟きが聞こえたように女性は僕の席の横取りを諦め、僕の右隣に座る女性の前に移動してビニール袋を再びガサガサさせ始める。僕の右隣に座る女性は、コンビニ女の妙な威圧感を感じたのか、それとも単純に降車する駅だったのか…水道橋で席を立って電車を降りた。

「うわ、女が隣に座る・・・」

コンビニ女は僕の右隣に乱暴に座って「お前が降りればよかったのに」と言うように僕に鋭い視線を送っている。僕は怖いので寝たふりを続ける。

美人のコンビニ女は僕の横でガサガサと音を立てて何かしているようだ。電車の中で満員なのに関わらず足を組んだり周囲の目を気にすることなく鼻くそをほじったりミニスカートの女の子のパンティをのぞき見ようとしてモゾモゾと落ち着かない人間は大嫌いだ。

横目でコンビニ女を見ると新聞紙を広げて読み始めた。「満員電車の中で大開きに新聞読むのは礼儀知らずの爺さんばかりだと思っていたが…」

ガサガサと音を立てたのはこの新聞紙だったのだ。しばらくすると新聞紙のガサガサという音よりも大きな雑音に気がつく。今度はガリゴリという固いものを削るような音だ…。僕はようやく気がついた。コンビニ女は新聞の陰でコンビニ袋から何やら食べものを取り出して食っているのだった。しかし…それにしてもこの固いものを削るような音は何なのだろう?クッキーでも食べているのだろうか?否、クッキーに齧りつくよりも、もっと大きな音なのだ。僕は横目でチラリとコンビニ女を見た。

しかし、新聞紙に隠れて彼女が何を食べているのか見えないのだ。するとガリゴリという雑音が止まった。不思議に思って僕は、はっきりとコンビニ女を見た。

彼女は左手の新聞紙をわずかにめくって僕を睨んでいたのだ。彼女とまともに目があった僕は、しばらく彼女の視線から目を外すことができなかった。彼女は低い声で僕を嘲るように笑った。そこでやっと彼女の手元が見えた。それはベージュがかった白い棒のようなものだった。同時にぷーんと死臭のような匂いが僕の鼻をついた。

「骨?」

そのとき電車が亀戸駅に到着した。電車が駅に滑り込むと同時にコンビニ女は新聞紙で隠すように骨の入ったビニール袋を持って、また乱暴に席を立った。コンビニ女は2メートルはあると思われるほど大きかった。電車のドアが閉まると彼女は立ち止まって振り返った。巨軀は、再び大きく左右に揺れながら僕を見て笑った。電車は亀戸駅をゆっくりと滑り出した。骨を食らう女はいつまでも僕を見て笑っていた。

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