霊視者の夢「憑依」3
「初めてお目にかかります。私は新選組の土方歳三にございます」
土方と名乗る男の写真は、ネットで見たことがある。確か「幕末の美男たち」というサイトだったと思うが、写真はかっこ良く見えたけれど、今、目の前に立っている実物は背が低く、教師ドラマで一躍名を馳せたフォーク歌手のような顔をしている。
ー現実はこんなものだ。
東子の心の中の呟きを亀姫が読みとって笑った。
「土方殿は美男の誉れが高いのか?」
「はい、今残っているのは、かっこいい写真だけですから」
「見たいのぅ…」
「あ、じゃちょっと待ってください」東子はスマートフォンを取り出して土方の写真を検索した。
土方はスマートフォンを初めて見るのか興味深そうにスマートフォンの画面を凝視していたが、亀姫と朱の盆は驚きもせずに見ていた。
「あ、ありました。これです」
「どれどれ…ほう…」亀姫がスマホに映る軍服姿の土方の写真を見て感心した。
「良い男じゃのう…ふふふふ」
「私の写真が見られるのですか」土方も東子の傍に来てスマホを覗いた。
「これは…函館で田本という写真師に撮ってもらったものですね」
田本というのは田本研造といって、函館で土方や榎本武揚などを撮影した写真家だ。田本は天保3年(1832)に紀州の神川村(現在の和歌山県熊野市神川町)に生まれた。医学を志して23歳の時に長崎に出て、蘭方医の吉雄圭斎の門人となる。ここで医学や化学を学びながら西洋事情にも通じた。安政6年(1859)には長崎から函館に移り住んだが、寒冷地のために右足を凍傷で失ってしまう。このことで写真の道に進み、写真技術を学ぶ。慶応2年(1866)頃から写真師として活動を始めたといわれる。慶応4年/明治元年(1868)に土方が函館に渡った際に土方たちを撮影したのだろうと思われる。
「ほう、写真はかなり良い男に写っておりますね」朱の盆が皮肉たっぷりに言いいながら笑った。土方は朱の盆の皮肉に気づくことなく本当に褒められたと思い込んで朱の盆と一緒に笑った。
「土方殿は純なお方じゃ…」亀姫が呆れた。
「テレビドラマなんかでは、土方さんをコージー山本なんかのイケメン俳優が演じていますよ」東子が言うと、土方は“また褒められている”と感じて目を輝かせながら東子に接近してきた。
「きゃ」東子が驚いて土方を押しのけた。
「イケメン俳優…コージー山本…そ、それは何者でござるか」
「美男な役者のことですよ」朱の盆は現代にも精通しているようだ。
「さようでござる」東子が笑った。
「美男でござるか。んふふふふふ…そのコージー山本なる役者に会ってみたいものですな」土方が喜んでいる。新撰組というと恐ろしいイメージだったけれど、今の土方を見ると、一切そんな印象はない。
「土方殿は幸せなお方じゃ」亀姫が呆れている。
「まことに…」朱の盆も頷いた。
「ところで、どうして私を呼び出したのですか」
「そうじゃった。実は、そなたに力を貸してほしいのじゃ」亀姫が東子を見つめた。
「力を貸す」
「そうじゃ。幽霊やあやかしの姿が見えるそなたの力じゃ」
「亀姫様」朱の盆が亀姫の耳元で何か呟いた。亀姫が頷いた。亀姫は東子のスマートフォンを指さして怪しい笑みを浮かべた。
「東子、今宵は顔合わせのみじゃ。また朱の盆が、ソレに報せるゆえしばらく待っておれ」と言うと、亀姫、朱の盆、土方歳三の姿が霧のようになって消えた。消えるときにチラリと見えた女癖が悪い土方の東子に対する間抜けた愛想笑いの表情が印象的だった。
「呼び捨てにするとは失礼な姫じゃのう…」東子は亀姫のような言葉遣いで呟いてしまった。そして、面倒なことに巻き込まれそうな予感がした。