竹久夢二の壱
大学生の3年間、僕は群馬県伊勢崎市のおんぼろアパートに住んでいました。同じアパートに住む北海道の稚内から来た柏木という奴が、市内の喫茶店でアルバイトをしていました。その喫茶店にユキちゃんという可愛い子がアルバイトをしており、僕は一目惚れしてしまったのです。そのユキちゃんに交際の申し込みをする際に彼女にあげたのがノーベル書房版 竹久夢二の「どんたく」でした。もちろんフラれました。
それはともかく…。
その後、一家で神奈川県に引っ越してから僕は軽度の引きこもりになり、何もすることがなかったので「漫画でも描くか…」という軽い気持ちでテキトーな物語のない形而上漫画(そんな高尚なモノではない)を描いたのはご承知のとおりです。
んで、僕が瞬間的に漫画を描いてみようかなと思ったきっかけは、やることがないだけでなく、子どもの頃から読んでいた水木しげるさんや、大学に入ってから先輩に勧められて読んだつげ義春さんの漫画のようなモノを描いてみたいと思ったからでした。
でもね、特に影響を受けたのは林静一さんの漫画なんですよ。初めて漫画雑誌ガロを読んだときに林さんの「巨大な魚」に痺れたんです。小学校の4年生でしたよ。文化的早熟ですね。早熟ってなんかHだわ。
林さんといえば飴のCM「小梅ちゃん」のイラストで有名ですね。その絵柄は竹久夢二に影響されたことがわかりますね。僕も夢二の本を数冊持っていましたから、夢二の絵も好きでした。
竹久夢二の「なよっ」とした美人画は、林静一さんに引き継がれましたが、夢二と静一さんが違うのは、夢二は、芸術と商業デザイン・イラストの狭間でゆらゆらと揺れ、一貫した作品スタイルに到達できなかった(と個人的に思う)のに対して、静一さんは、時代のおかげもあって「きっぱりとした線」で商業デザイン・イラスト・漫画という路線を貫くことができていると思うのです。
下の写真は夢二の「いさかいの後」です。モデルとなっているのは、夢二の奥さん、岸たまきです。絵画的というよりも漫画的です。夢二の美人画もほとんど輪郭線があり、漫画的なのです。
過日、千葉市美術館では田中一村だけでなく、美術館蔵のいろいろな作品を見てきました。その中に竹久夢二の作品もいくつかあって、好きだから凝視してきました。やっぱり夢二はいいですね。
夢二を好きなのは、やっぱり画力です。しつこいようですが、画力のない僕は絵が上手な人が好きです。それにもまして好きなのは彼の女性関係です。
夢二は早稲田実業学校専攻科を中退して、23才のときに東京日日新聞にコマ絵が掲載されます。その頃に早稲田鶴巻町に絵ハガキ店「つるや」を開店した岸たまきに惹かれます。そして翌年には結婚してしまいます。岸たまき(岸他万喜)は、富山治安裁判所の判事をつとめていた岸六郎の二女で、夢二より2才年上でした。たまきは、冨岡工芸学校の絵画教師だった夫に死に別れ、兄を頼って上京して早稲田に店を出していたのですね。
岸たまきをモデルに描いた女性画は、夢二独特な画風で評判を呼びました。しかし、気の強いたまきとの関係はうまくいかず、3年後に協議離婚しています。しかし、その後もたまきとの関係は続くんですね。その間に銚子に遊んだ際に成田から来ていた長谷川賢(お島)に恋して有名な「宵待草」が生まれます。
夢二は絵を習いに日暮里の太平洋洋画研究所まで通っていたそうです。随分前に僕は日暮里から谷中を歩いたときにこの太平洋洋画研究所を見かけました。このときには知らなかったので、僕が通った目黒の研究所のようなものなのかなと思いましたが、歴史のある有名な美術研究所だったのですね。
夢二は大正3年に日本橋呉服町に「港屋」を開店しますが、笠井彦乃と出逢っています。彦乃は日本橋にあった紙問屋の娘で、当時は女子美術学校日本画科の女生徒でした。