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カルチャースクール「才能」
次回のカルチャースクールのテーマは「才能」です。前回、そのテーマで以下の文章を書いてきてもらいました。ちなみにここは、生徒さんの発表の場としています。
生徒さんたちは、才能とは・・・「生まれつき持っている能力」「環境によって受け継がれた能力」「努力の末に獲得した能力」と、考えているようです。
僕は個人的に才能というのは「誰にもある能力」と思っています。その能力を活かすためには、まず「興味を持たなくてはならない」のです。それは運動であったり、芸術であったり、芸能であったり、文章であったりします。興味を持ち、さらにそれに秀でていれば、能力を持続できるのですが、途中で挫折したり、飽きてしまったり、よからぬ人間の詰まらない言葉で諦めてしまったり、結局、持続できるだけの能力が足りなかったりして半端に終わってしまうものです。
僕がその代表で、運動能力はありませんが、たまたま興味を持った絵も文章も音楽もすべて半端に終わっています。つまり才能はないのです。才能がなくても、今は、それぞれを趣味として楽しんでいるのです。
絵や文章や音楽ではなく、野球をやっていたり、サッカーをやっていたりしたら、そのプロ選手になっていたかも? いやいや、運動能力はないのです。それは絶対にあり得ません。
残念ながら、多くの人々は、自分の能力に気づかずに人生を終えてしまいます。何とつまらない人生・・・? いいえ、皆それなりに生きる能力を発揮して人生を生きているのです。腐った社会で生き抜くにはそれなりの才能が必要だからです。皆、立派なのです。別に芸術や運動(スポーツとかアスリートと言わない)や音楽に生きなくても、で僕のように趣味にとどめて生きればいいのです。
あ、「お前、ヘタクソだな、才能ないね、趣味でもやるレベルじゃないよ」と言う輩にはじゅうぶん気をつけて下さいね。彼らは自分のつまらない人生を他人にも感染させようとしている悪疫媒介者ですから、彼らの言葉を鵜呑みにしないように、やりたいことをやりましょうね。
「趣味にとどめるというのは、他人が決めることではなく、自分自身です」
さて、いつものようにA、B、Cさんの文章を以下に載せておきます。
Aさんの文章「才能」
生まれてすぐには、個々の様々な才能はわからない。才能とは、長い人生の中で、本人の努力の積み重ねから生まれるものだと思う。
ただ、のほほんとして人生を過ごしているだけでは才能を見出すことはできない。
厳しい修行と鍛錬によって心身や技能を鍛えて、さらにきっかけやチャンスなどに恵まれ、自分の手で掴むのが才能だと思う。もっと大切なことは自分の才能に気づくことだ。
あらゆる人が、才能に気づくとは限らないが、全ての人に平等に与えられているのが才能だと思う。
自分の手で、自分のものとするまで、信じて才能を掴み取りましょう。
Bさんの文章「“才能”について思ったこと」
直接会ってみて印象に残ったトップ・アスリートがいる。
ひとりは体操の具志堅幸司(ぐしけんこうじ 66歳)さんだ。金メダリストで、自らの名前からついた「具志堅」というオリジナル技を持つ方だ。技に本人の名前がついたということは、平行棒で世界初の技を成功させた証でもある。
もうひとりは競泳平泳ぎの日本記録を持つ不和央(ふわひさし54歳)さんだ。ドラマ「ウォーター・ボーイズ」のアーティスティック・スイミングの演技指導をしたり、「水の道化師」とも呼ばれる「トゥリトネス」というパフォーマンス集団を率いて、とても面白いショーを見せてくれる。
幸運にも私は、数分だが、具志堅さんと不破さんに直接お話しさせていただく機会に恵まれた。その際に感じたのは、おふたりともこちらが気を遣う必要のない「人を喜ばせる力を持つ人」だということだ。
自分たちの生活の全てを、その競技のために費やした時間があり、高い精神力や身体能力は、世界レベルであることは容易に想像できるし、身体的表現力は世界中の人々を魅了し、感動させる。
具志堅さんの平行棒や鉄棒の演技、不破さんのアーティスティック・スイミングは、言葉など不要で、思いのままに躍動する姿は、見るものを楽しませてくれる。
それだけではなく、おふたりとも一般人である私や、他の誰に対しても、とても親切丁寧で、礼節をもって接してくれたことが心に残っている。世界レベルで活躍する人たちは人に対する姿勢も一流なのだと感じた。相手を不快にすることなく、心地よく共に過ごし、喜ばせてくれるだけでなく、未来に向って進ませてくれる活力を与えてくれる存在だった。
具志堅さんと不破さんのように、自ら持つ力を磨き、身体能力を高めて世界レベルに達するのも才能だ。また、努力によって獲得した能力で、他者を幸福に導いてくれるのも才能だと思う。才能を共有したり社会に還元できる人たちはとても魅力的で、神々しくさえある。才能は世の中を巡ってこそ輝く気がする。
Cさんの文章「才能と環境」
才能とは「生まれついての能力」「頑張らなくてもできてしまう」「もって生まれた能力を活かすのは努力」「才能とは持続する力」「才能の前では経験も努力も無用」などの言葉を、これまでに読んだ本のなかに見ました。
私は、才能のある人が羨ましいです。
世の中には「自分には何も才能がない」と思っている人が70%もいるそうです。実は私もそのひとりです。才能があるとしても、生まれつきの能力と断定してしまうだけで、未来が広がらず、挑戦力、行動力が失せてしまいそうです。
才能を開花させている人たちを見ると、「環境遺伝」が大きなウェイトを占めているような気がします。特に家系的に代々の芸術家や芸能関係の人たちは、生まれ持った環境が、才能を引き出していると思うのです。
でも、才能は家系や環境に恵まれた人たちだけのものではありません。
自分の好きなこと、やりたいことに挑戦し、それを持続することで、自分にも他人にも見えてくる才能を見つけることができるかもしれません。楽しみながら才能を発見できると、人生の充実感も膨らみます。
◆次回のカルチャースクールの課題は「差別と人生」です。