東京万景「目黒大円寺と明和の大火」
目黒に出かけたときには、年に2回ほどですが、この大円寺を訪ねて手を合わます。大円寺は、江戸三大火事のひとつである明和の大火の出火元です。
「明暦3年、明和9年、文化3年各出火記録控」というのがあるそうです。これによれば、出火原因は、武州熊谷無宿の真秀という僧侶による放火だったそうです。真秀が放火した理由は記録にはありません。真秀は火付盗賊改長官である長谷川宣雄の配下に捕縛(逮捕)されました。長谷川宣雄というのは、ドラマでお馴染みの長谷川平蔵(宣以) の父親です。放火犯の真秀は、明和9年(1772年)4月頃に捕まり、同年6月21日(新暦は1772年7月21日)に市中引き回しの上、小塚原で火刑に処されました。
明和の大火について参考書がないのでウィキペディアを参照します。
明和2月29日(4月1日)の午後1時頃に目黒の大円寺から出火した炎は、南西からの風にあおられ、麻布、京橋、日本橋まで燃え広がり、江戸城下の武家屋敷を焼き尽くし、神田を経て千住方面まで焼き払いました。一度は小塚原付近で鎮火したものの、午後6時頃に本郷から再出火し、駒込、根岸を焼きました。
30日(4月2日)の昼頃には鎮火したかに見えたのですが、3月1日(4月3日)の午前10時頃に今度は馬喰町付近から再出火して、東に燃え広がり日本橋地区は壊滅しました。
類焼被害は934の町、大名屋敷は169、橋は170、寺は382を数えた。山王神社、神田明神、湯島天神、浅草本願寺、湯島聖堂も被災したのです。死者は1万4700人、行方不明者は4000人を超えたといいます。
大勢の人が亡くなっているんです。以下、目黒区サイトの解説文を転載います。→大円寺境内の北東側斜面に安置される石仏群は、左右に文殊・普賢(もんじゅ・ふげん)像を配した釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)を中央にして、十六羅漢像、十大弟子像が取り巻き、背後に500基ほどの羅漢像が並んでいます。
釈迦如来像に天明元年(1781年)の刻銘があり、多くの像は、これ以降につくられたと思われます。 (中略)江戸の三大火事の一つに数えられる明和の江戸大火(行人坂の火事)は、明和9年(1772年)2月に大円寺から出火したものでした。 この大火で亡くなった人々を供養するため、多くの人からの浄財で石仏群が作られたといわれています。
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