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弁天山

人の記憶というのは何歳の頃からあるのだろう? なかには生まれたときの記憶があるという信じられない人もいる。僕の最初の記憶は、多分2歳の頃だと思う。生まれたのが福島県の平市(現在はいわき市)なのだが、その操車場らしき場所を歩いている記憶があるのだ。操車場を調べると常磐線のいわき貨物駅のようだ。何故、そのような場所に行ったのかは両親に聞いてもわからなかった。

その次は、福島市の土湯温泉で苦しまずに溺れて足首を掴まれて逆さ状態で救われた記憶だ。この時は湯船のお湯の中で大勢の人たちの足が巨人のように見えた。

父の仕事が住宅会社の営業だったから、数年毎に転居するのが習慣のようになっていた。平市から福島市に転居してからのことだ。福島市の家はアパートで弁天山という小さな山の麓に建っていた。山の麓には鳥居と、その前に雑貨店があった。家族はいつもそこで何か買い物をしていたが、暗くなってからは鳥居と山の影が不気味で恐ろしく感じた。それでも明るい昼には僕ひとりで山に登ることも少なくなかった。山には椿の実がなり、それが食べられると思い口にしたこともあった。味は覚えていないが、調べると苦くて食べられないそうだ。もちろん実は椿油の元である。

この弁天山には安寿と厨子王の伝説がある。安寿と厨子王の父親は平安時代の地方官で、この弁天山と続く椿山の間に館があったといわれる。その父が太宰府に左遷されてしまい、その後音信不通となる。残された妻子は消息を確認するために福島から越後(新潟)に出て、船で若狭まで向うのだが、途中、人買いに欺されて母と乳母は佐渡島へ、安寿と厨子王は京都の山椒大夫に売られてしまう。

その安寿と厨子王ゆかりの弁天山の麓で暮らしていると、身の回りに不思議なことが起きた。

ある日の昼下がり、僕が壁に吊してある父の上着を寝転んで何気なく見ていた。すると父の上着の袖口の奥の方に小さなおじさんの顔が見えた。じっと見ていると、おじさんは何か言いながら笑っている。それが子ども心に気味が悪かったので母を呼んで、そのことを話すと笑いながら袖口をめくって見せた。もう何も見えなかった。

その晩、寝ていると、闇の中で壁や天井からミミズのようなものがたくさん這い出てきた。それだけでなく父母の耳や鼻の穴からもソレが這い出してくるのだった。

「わあああっ」と泣き叫ぶと父母が起きて僕をなだめた。父は「風邪薬を飲んで幻を見たんだ」と言って笑った。

もうひとつ不思議な記憶がある。アパートの近くには精神病院が建っていて、ある日、母と一緒に、近所にある母の友だちの家に遊びに行った。その家は2階建てだった。すると複数の人間の「外に出ないで下さい」という声がして、騒がしいので2階に上がって外を見ると、アパートの前を走る県道を7~8人の浴衣を着た人たちが歩いていた。夕日に照らされた逆光の中で、非常にゆっくりとした動きで歩いていて、まるで妖怪たちが踊っているかのように思えた。

「精神病院の患者たちが逃げたんだってさ」玄関の鍵をかけてから2階に上がってきた母の友人が言った。

患者たちは凄く嬉しそうで、病院の職員や看護師が慌てて彼らを追いかけている姿がもの凄く滑稽だった。



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