「叔父のこと」
僕は3~4歳の頃から小学校に入学するまで福島県の県庁所在地である福島市に住んでいた。その頃の話だ。
福島市郊外にあった自宅アパートの近くには母の弟(叔父)が住んでいた。 この人は中学を出てから故郷の岩手を出たのだが、その後、どういう理由で福島市に住んでいたのかはわからない。 生前の母親に確認したら、「結婚して近くに住んでいた」ということがわかったが、僕が記憶しているのは叔父だけで、結婚していたというから奧さんも一緒にいただろうが、その奧さんの記憶はまったくない。断片的なのだ。
そんな大雑把な記憶からだが、 その叔父は定職につくことなく毎日ブラブラしている印象があった。
僕たち家族が福島市に住んでいたのは、僕が小学校に入学するまでだったので、 多分、6歳頃までだったと思う。 まだ小さかった僕には、叔父の生活のことまで知る由もないから叔父を自分の兄のように慕っていたのだった。
叔父は木製銃床に金属製の銃身を乗せた空気銃を所持していて、窓に空き缶を吊るしてそれを銃で撃っていた記憶がある。 吊るされた缶は穴だらけで 「ほれ」 と自慢げにそれを見せる叔父はガキ大将のような顔をしていた。 空気銃の弾は金属製の鼓弾だったから、薄い鉄製の空き缶を射抜くのは容易いことだった。
当時は空気銃所持免許は不要だったが、 今考えれば随分危険なことをして遊んでいたものだ。 狙いが逸れて外に飛び出た弾が人に当たる危険もあるからだ。
もう50年程前になるが、叔父が、当時、僕たちが住んでいた家を訪ねてきたことがあった。叔父は派手な感じの奧さんと10歳くらいのふたりの娘を連れてきた。何が目的だったのかは知らないが、その時の叔父はヤクザのような怖い印象があった。叔父を見たのはそれが最後だった。
母が生きていた8年ほど前に、母に興味本位で思い出したように叔父の行方を聞いたが、母は哀しそうな表情をしながら「親戚に聞いたけど、行方不明なんだよ…」と言った。現在は母を含め、親族のほとんども亡くなってしまったので知る由もないのだ。