自分がわからない

27歳にもなってまだ自分がどういう人間なのかがわからない。
いつもぐるぐる頭の中で考えてはこんなことを考えているのが不気味すぎて考えるのをやめる。(大体、人間って気持ち悪いなと開き直って終了する)

この日記は自己満なので、特にこのMBTIの人はこう~とかではなくて、
ただつらつらと自分の汚いところを出してみようかなと何も考えている日記。

最近流行っているMBTI診断をやってみた。
自分は結構ああいう診断が好きなので何回か挑戦したけど、何回やっても
「INFJ(提唱者)」だった。特徴的には確かに一番合っているように思う。
周りの友達にも聞いてみたら、圧倒的に「INFP(仲介者)」ばかりで、
もちろんそれぞれ性格は違うけど、物事のとらえ方とか感情の動きとかはみんな確かに似ているかなあと思うし、自分と仲良くしてくれているのも納得だなあと思った。
みんなしっかりと考えることが好きで、話していてすごくくつろげる人が多い。

INFJとINFPで何が違うのか調べていたら、
INFJは他者とのかかわりの中で自己を確立して、
対してINFPは内省、内部との問いの中で自己を確立する(要するに自己分析にたけてる)~みたいな違いがあるという記事を見つけた。
あとは計画的かそうじゃないかとかそういう違いらしい。
それと、INFPの人は芸術的なセンスが優れている人が多いらしく、それはかなり納得で、その人の独特なセンスやこだわりにすごく惹かれて友達になることはかなり多い。

自分をしっかり持っている友達に囲まれていると、自分って何なんだろうと考えることが増えた。もともとそういうことは考えるタイプだったけど、
「自分が」好きなもの、好きな人ってなんなんだって、この歳になって迷子になってしまった。普通そういうのは高校生までに考えるべきなんだろうけど、たぶん私は一生考え続けるんだと思う。
INFPに見習って、自分も自己分析してみようと思い立って、文章を書いてみた。


小さいころから大人が何を考えているのか、この人は何を言ったら喜ぶのか、きっと同年代の子供よりもわかっていたと思う。小さいころから大人っぽいねと言われて育ち、思っていないことも口に出せるし、自分の中でそれはずっと得なことだと思っていたし、ちょっとした自慢でもあった。
学生生活や社会人生活においても敵を作ることはほとんどないし、きっと多くの人からみて「いい人」なんだろうなという自負はある。
だけど、それは自分が狙って作り上げたポジションであって、本当はすごく汚くて見苦しい感情が芽生えることだってある。(それはみんな人間そうだよね)
自分は人見知りだが、集団の中でまったくしゃべれないということはなく、
集団の中で孤立している人がいたら話しかけるし、空気が悪ければ自分が少しムードを作っていかなければと明るくふるまうこともできる。
ただ、そういった集団から抜けたあと、本当に心から疲れてしまい、もう誰にも会いたくなくなってしまう。
じゃあそういう無理した振る舞いをやめれば?という話なのだが、それもそれで場の空気を換えられなかったことや自分がもっとこうしていればという自己嫌悪で、より一層しんどさが増してしまう。

誰も私にそんな無理をしてほしいなんて思っていないのはわかっているし、
調子に乗るなというのも理解できるんだけど、自分の中で誰かのいいひとでありたいという思いを止めることができない。
この人の前ではこの自分、あの人の前ではこの自分と器用に対応できるがゆえに、自分を見失っているナルシスト、愚かすぎる。(自分キモイポイントその①)

それともう一つ、自分が厄介だと思うことが、破壊願望である。
自分は比較的幸せな家庭で育ち、両親も仲はいいし、今まで大きな挫折をしたことはない。むしろ人生うまくわたってこられたほうだと思う。
人にも恵まれ、幸せな人生なんだと思う。

ただ、時に何もかも全部リセットして崩壊させたくなってしまう瞬間がある。これは自分でもまったく理解できない感情だが、人間関係を全部リセットしたいとかそういう話ではない。
特にこの破滅願望は恋人に対して現れることが多い。
その相手が嫌いになったとか、恋心がなくなったとか傷つけたくなったとかそういうことではないんだけど、急にその人と離れることを選んでしまう。
幸せに過ごしてきた人生のはずなのに、自分が幸せであることはあまり許せていないし、汚い感情を抱えたまま好きな人たちと過ごしていくのが突然許せなくなってしまう。
この人といつか終わるのなら今自分の手で壊しちゃえ!みたいなニュアンスが一番近いような気もするし、こんな自分と付き合っている相手を解放してあげようという謎の正義感なのかもしれないし、自分でも感情の根源がわからずずっと気持ち悪く感じていた。

友達にはそういう感情が出てきたことはなく、むしろ一生仲良くしたいなと思っているので、もしかしたら恋人に対してだけこういう破壊願望が芽生えるのは、自分の「好き」という感情が終わってしまう前に、「好き」なままで手放したいのではないか?とも思う。もしかしたらこれかも。
この間友達と話していてギクッときたのが、本当に人を好きになったことがあるかという質問だった。
自分ではもちろんあると思っているんだけど、
その人のために命を差し出せる、仕事を辞められる、引っ越ししてその人についていけるか?というのが本当に人を好きになるの定義なのだとしたら、無い。その人に嫌われてもなおまだ好きでいるくらい好き!というのが本気なのだとしたら、それも無い。
結局恋愛においても自分のことを好きでいることが絶対条件なのだと今更気が付いた。
もしかしたら、自分の「好き」が終わる前に手放しているのではなく、相手の「好き」が一番強いときに、手放したくなるのかもしれない。
究極に自己愛が強い癖に、自分に自信がなく自分を好きになれず、この歳になってもなお意味不明なことで頭を抱え感情が爆発する。

この日記もよくわからなくなってきたからもう終わるけど、
いつも仲良くしてくれるみんな、ありがとう…


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