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そのボタンを押した日の話 きっかけは二次創作の小さな一歩だった

※個人的な話です。
私は二次創作小説は大体3年くらい前に書き始めました。
前にも書きましたが、ある方の創作作品を読んだのがきっかけでした。
10年間全く書いてなかったんですが、自分でも書いてみようかな、と思えたのはそれがとても大きかったです。

いざ書き始めると、ブランクもあったので最初はなかなか言葉が出てこなかったです。
まずは入口の凝り固まってた詰まりを少しずつ取っていく感じでした。
アウトプット用の配管はやっぱり使わないと錆びてくるんだと思います。

なんとか言葉を少しずつ引き出すことで、ようやく配管が流れてくるようになりました。
そしてそのうちスルスル文章が書けるようになりました。
その期間は大体1〜2ヶ月間くらいだったと思います。

今ではそのくらいの分量(一万字弱くらい)なら、早ければ1日で書けるんですが、当時はやっぱりそのくらいの期間はかかりましたね。

それでもなんとか生み出した初めての二次創作です。
誰に忖度することもなく、自分の書きたいように書いた小説だったので、読み返しても満足でした。
思えば、自分のためにこんなに自由に書いたことはなかったかもしれないです。
長年の呪縛から解放された気持ちでした。

書いて満足したので、そのまま終わらせてもよかったんです。
でもせっかく久しぶりに書いたものなので、どこかで発信してみようかなと思うようになりました。

その頃は完全な読み専で、ツイッターもやったことがなければ、オタク友達もいないし、見事に孤独なオタクでした。

ずっとピクシブを読んでお世話になってたので、そこにアップしたいな、と思いました。
思ってはいたんですが、友達がいない孤独なオタクがピクシブにアップしたところでさ…誰にも気づいてもらえないし、誰にも読まれないよね…やる意味なんかないよね…ってしばらく悩んでました。
誰もいない荒野に、たった一人で踏み出すような感覚でした。

でもとりあえず、読み専用の垢の他に、作品アップ用の垢を作ることからやってみようと思いました。
やめたくなった時にすぐその垢を消せるようにです。
後ろ向きな理由!

そう、私は当時創作に自信がなくて、かなり後ろ向きでネガティブに考えてました。
普通の生活面ではわりにポジティブでのんきな人間なんですが、創作のことになるとすごくネガティブ発揮してましたね。
やはり10年間のブランクはでかい。

正直、自分の書いた文章は面白いし好きだなと思いながらも、人が読んだら面白くないんじゃないかな…面白いと思ってるのは自分だけなんじゃないかな…という気持ちのほうが大きかったです。

自分の文章が、自分以外にも通じるのか?っていう判断がつかなかったんですよね。
そもそも文章としてちゃんと成立してるのかもわかりませんでした。

そんなわけで、とりあえずピクシブに垢は作った、文章貼り付けた、なんか見よう見まねでタグをつけてみた、表紙は支部のそれらしいテンプレートを使って、準備は整った。

あとは投稿ボタンを押すだけ!
押すだけなのに!
パソコンの前でそのボタンを押すのに、多分3日くらいかかりました😂
そのボタンを押す勇気がなかなかでなかったなあ。
それくらい、私にはこわいことでした。

そう、こわかったんですよね。
小説って、自分の深淵、私を形作る核のようなものです。
それを人目に晒すということは、硬い殻を開いて、誰にも見せたことがないむき出しの自分を見せることに思えました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとってはそういうものでした。

今なんて作品できたらすぐアップしますが😂
それでもあの時のあの感覚、あのこわさは今でも覚えてます。
そして忘れないようにしたいなとも思ってます。

結局、「いや、私のこと知ってる人なんていないんだし、読まれなくたってかく恥もないよな、じゃあいっか、試しにやるだけやってみよ〜、だめなら消せばいいし!」と思い直しました。
急に出てくるポジティブ思考😂
基本的に「なんとかなる」の精神の人間なので。
タイミング的に推しの誕生日ってことも大きかったです。

ようやく勇気を振り絞って、震えながらポチッと投稿ボタンを押しました。

私は、「勇気を出してボタンを押してくれてありがとう!」といまだにあの時の自分に感謝しています。

本当に小さな一歩でしたが、私にとっては後々大きな一歩になりました。
もちろん当時はそんなこと想像すらしてませんでした。
でもその時のその勇気がなかったら、私は今ここにいませんでした。

初めて読んでもらえた時も、初めてブクマを頂いた時も、飛び跳ねるほど嬉しかったです。
よかった!私の文章が、ちゃんと作品として成立しているんだ!と感動しました。
誰かに作品を読んでもらえる感動を久しぶりに味わって、同時に本当に書いてよかった、アップしてよかった、こんなに心から嬉しいものなんだと実感しました。

こういう感覚って、普通に生活してるとなかなか味わえない感覚かなと思います。
自分が生み出したものが誰かに届くって、こんなにも心を動かされることなんだなと。

それから、無名で孤独な人間の作品を読んでくれる人が少し増えて、ブクマも増えて行きました。
同時期にツイッターも始めていて、数人フォロー頂いていたある時、DMを頂きました。

すごく熱のある文章に感動してお返事して、そうしたら、「どうしても全部書ききれないので画像送ります!」って便箋3枚に手書きでびっしり書かれた感想の画像が送られてきました。
もうこれ、泣きませんか?!
私は読んで号泣しました😭
「自分がずっと読みたかった話はこれなんです!私の理想の二人です!書いてくれてありがとうございます!」
ってとても丁寧に熱く伝えてくださったんですよね。

しかも読み専の方なんですよ。
私も読み専だったのでわかりますが、読み専で書き手に感想を伝えるって、ものすっごく勇気がいるんですよね。
私はしたくても出来なかったことです。
なので、その方のその勇気にも感動して、本当に書いてアップしてよかったなと心から思いました。

私の言葉が、誰か一人にだけでもちゃんと届いていたんだ。
もうそれだけで満足でした。
その方は他のジャンルに行ってしまって繋がりはなくなったんですが、今でもずっと感謝しています。

実際、私はその一作品をアップして二次創作はやめようと思っていました。
書けるかわからないけど書いてみたかったから書いたもので、自分が二次創作活動をする想像はできなかったし、続けるつもりもなかったです。

でも、こんなに喜んでくれる人が一人でもいるなら、私はその人のためにまた書いてみようかなと思いました。
たった一人の読者のために、二次創作の活動を続けてもいいんじゃないかと思いました。

少しずつ読んでくれる人も増えて、反応も増えて、繋がる人も増えていきました。

ある時、書きたい情熱が爆発して一日で二万字の作品を書き上げたことがありました。
そんな無謀なことはもうしませんが😂
プロットなしで一日で一気に書き上げたのは、後にも先にもその作品だけです。
情熱一つだけで完成させたものでした。
アップすると、予想外にすごくたくさんの反応がありました。
いまだにその作品は私の全作品の中で一番読まれていて、ブクマ数も一番です。
情熱は人に伝わるんだと感じました。

その頃同時に一次創作もまた書き始めました。
これも私にはとても勇気が要りました。
書けなかった10年間の自分と向き合う行為でした。
二次創作は書けたけど、一次創作は書けないかもしれない。
一次創作と二次創作は全く別の思考が必要なので。
使う脳の部分が違うんですよね。

不安に思いながらも書き始めると、あんなに言葉が出てこなかった期間が嘘のように、言葉が次々と溢れてきました。
私の中の言葉を通す配管が、きれいになっていたことをそこで初めて実感できました。
また一次創作を書くことができて、涙がでました。
やっと自分を取り戻したのだと感じました。

実はその頃に書いたものの一つが、今度Kindle自費出版をする予定の本の原案になったんですよね。

小説を書くことと、発信することはまた別なんだと思います。
書くだけで満足できたら、発信する必要はない。
でも発信したら、その先に違う世界があるのは確かです。
それが自分が求めているものかどうかは別にして、変化は必ずあります。
多分、私は変わりたかったんですよね。
その先がどうなっているかはわからなくてもよかったんです。

それは外界ではなく、私の中の変化でもあったので。
私がその時もし作品を発信しなかったら、多分今も小説は書けなかったのではないかと思います。
「書いたけど、何も変わらなかったよね?」
「ほらね、書いても意味なんてなかったでしょ?」
って自分を呪い続けていたと思います。
そして今度こそ、完全に筆を折ったと思います。

作品を発信するには、また違う勇気がいることだと思います。
その時に、一歩踏み出すか踏み出さないかで人生変わるんですよね。
例えその時に無駄なことに見えても、意味のないことに思えても、実際やってみないとどういう結果になるか分からないです。
それは創作だけじゃなくて、何でも当てはまると思いますが。
バタフライ効果は、どこでどうつながっていくかわからんです。
私がそうだったように、たった一つのボタンを押すことから始まるかもしれないんですよね。

ちょっとだけ勇気を出して、ちょっとだけ自分を信じて、ちょっとだけ変わった世界を見てみるのも悪くないんじゃないかな、と私は思います。

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