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女性アイドル_覇権の流れ

今まで同様、個別で綴る予定の 女性アイドル。

ただ まずは流れとして、ザッと書き記しておきたい。

ナビみたいな 感覚で、読んでいただけたらと。

#1981年_1982年

#山口百恵 引退後、頭1つ抜け出たのは、

#松田聖子 であった。

2年連続 女性アイドルの頂点に 立ち続ける。

#河合奈保子 もトップ10に入っていた。

次に存在感を表したのは、#柏原芳恵。

また対極的に捉えて 良いだろう

#三原順子#伊藤つかさ も挙げておきたい。  

#松本伊代 もデビューを 決めていた。

1983年

聖子の独走を誰もが予測する中、新星の如く 現れたのが

#中森明菜 であった。

あっさり、松田聖子を 抜いてしまう。

#堀ちえみ

#石川秀美

#早見優

らも、デビューするが、#聖子ちゃんカット の模倣から 抜け出せなく、遅れを取ってしまった。

#小泉今日子の台頭

#聖子派

#明菜派

なんて言葉が生まれる中、どちらにも属さないショートカットの自由奔放な 小泉今日子が 現れる。

#kyon2 なんて愛称からして、唯一無二の活躍をしでかしていく。

#角川からの刺客

アイドルの王道ばかりが、ひしめいたわけではなく、その頃の角川映画の主演を果たした

#薬師丸ひろ子

#原田知世

らも主題歌を引っさげ、ヒットさせていく。

さらに、レコードを出せば ほぼヒットにつなげていく、#欽ちゃんファミリーから

#わらべ も顔を出して、大ヒットを記録した。

#転換期へ

群雄割拠の中、新たな勢力、

#菊池桃子

#岡田有希子

らもデビューを果たしていく、何かが 変わりそうな 期待を持ち合わせて。

#やり返しの聖子_倍返しの明菜

やられたら やり返す、

松田聖子は1984年に首位を奪還する。

そして中森明菜は翌年、首位に返り咲く。

嘘のような真の話が、実際繰り広げられたのだ。

以上が、80年代前半の話。

そして 松田聖子が結婚をし、一線を一旦、退くのであった。


― つづく ―



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