別枠だった 河合その子【 前編 】
何故 センターでないの ?
誰もが 抱く、河合その子に 対する イメージ では ないだろうか ?
そう、新田、中島、福永、内海の 4人より、ルックスや 歌唱力でも 秀でてるのに。
第0章 #SONYオーディション
1983年 河合は、準優勝を獲得した。
後の優勝者 #谷村有美 を 輩出した オーディション と 言えば、それなり 価値が お分かりに なるだろう。
ちなみに、#Tonight は 初期の名曲だ。
第1章 #会員番号12番
SONYに 所属するものの 音沙汰なく、2年が 過ぎた。
が スタッフに 声をかけられ、おニャン子クラブの 番組内の オーディションに 参加。
内海、富川、立見 ともども 合格する。
また ここでも 疑問なのが、内海和子が フロントに なって、河合その子 は ならなかった。
私が 思うに、おニャン子クラブの シングルの イメージと、河合が もつ イメージ が あまりにも かけ離れていた。
また グループよりも、着々と ソロ活動を 開始する 準備を 始めていた。
例えるなら、#特待生扱い だろうか。
河合は、在籍時に シングル3枚、アルバム1枚を 発表。
特に #青いスタスィオン は、卒業時に 発表も 重なり、年間10位の セールスを 記録する。
第2章 #待望のソロ開始
1番話題な時に 卒業したことも あり、完成度の 高い 楽曲を 次々 発表する。
しかし、他の卒業メンバー同様 時間を重ねるごとに セールスは 落ちていった。
─ つづく ─