#菊池桃子の苦悩
か#Broken_Sunset 21.9万枚 86.2.13
1986年には入っても、勢いは衰えず。
失恋ソングを しっとりと 歌い上げる。
ちなみに、私が初めて買ったレコードでもある。
#夏色片想い 24.7万枚 86.5.14
#Say_Yes ! 20.8万枚 86.9.3
#ザ_ベストテン にても、初の1位。
日本が一体化したとは 言い過ぎだが、1つになった瞬間でも ある。
明るさと わかりやすい曲調、並びに 振り付けといい、菊池桃子の代表曲に なっている。
#アイドルを探せ 16.2万枚 87.3.25
ここまでが 1位を取り、次曲から 2位、4位と順位を下げていく。
#Nile in Blue 12.2万枚 87.7.29
#ガラスの草原 9.8万枚 87.10.8
そして、ラ・ムー を結成していく。
#愛は心の仕事です 10.1万枚 88.2.24
最初こそ、話題にはなったが、下降は止められなかった。
#少年は天使を殺す 5.4万枚 88.6.8
#TOKYO野蛮人 4.6万枚 88.7.27
#青山Killer物語 2.1万枚 89.2.8
#菊池桃子の苦悩
これまで振り返ると、ソロ 12曲中、7作品が1位と 申し分ない成績なのだが、菊池桃子は 納得が 行かなかったのだろう。
事務所によっては、まだまだ 歌わせたかもしれないが、ラムー 結成に至った。
活躍期間が、80年代後半に入り、下降を辿るには、大きく5つあると 診る。
#見切り早し
前述も書いたが、小泉今日子を例に上げると、何度も 盛り返していた。
それも出来る、期待できる アイドルだったと思うのだ。
#楽曲制作チームではなかった
どうしても、同じ人が 歌っていると、単調になりがちだ。
よって、有名アーティスト等に 楽曲制作をお願いする構図が 考えられるのだが、菊池桃子の制作チームは、やや乏しかったようにも 見える。
#歌唱力不足
歌は下手ではなかったが、上手くまでは なかった。かといって、上手くなった菊池桃子も違うような矛盾さも ある。
#群雄割拠
後半は、松田聖子のポストを狙って、それこそ 数多のアイドルが デビューしてきた。
#どんなに秀でていても
群雄割拠にも 似ているかもしれないが、
下降線は 必ず来る。
よって、幾度かのテコ入れを 事務所等は考え、施すのだろう。
まとめ
歌からは 遠ざかるが、演技だ、メディアにと 活躍は未だに 継続している。
そんな菊池桃子は、歌謡史に足跡を刻んだ、記録と記憶に残る 大切な アイドルで あった。
最後まで お読みいただき
ありがとう ございました。