無知な私と皆様の愛
2024年8月28日になったばかりの深夜12:48の記録
私はいつも無知です。
私がここに書いていることは、どこまで行っても無知な私が、今いる場所から理解できていることを書き記していることを先にお伝えしておきます。
どこまで行っても無知だけれど
そんな私も愛おしい。
いつまでも馬鹿正直で
いつまでも訂正ばっかりしている愛おしい私へ。
ありがとう。
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二日前に、こんな記事を書きました。
この記事を書いて翌日、まだ私の中で何かが蠢いていたので、パートナーのネイサンにお願いしてブレイクスルー・ブレスワークをやってもらいました。
その日、ネイサンは夕方から自分が教えている講座のプライベートレッスンがあったのですが、講座生さんから「体調が悪いのでおやすみさせてください」と連絡が入っていたらしく、私がワークをやって欲しいと連絡すると「このために調整が入っていたんだね〜」と笑っていました。
私たちが9月から始めようとしている新ブレイクスルー・ブレスワークの提供予定コンテンツの中に、「無料体験会を開く」というのがあるので、この機会に、無料体験会でネイサンが提供しようと思っている「初心者におすすめなブレイクスルー・ブレスワーク簡単バージョン」を体験してみることにしました。それは、いつも3つのパターンの呼吸法をするところ、一つの呼吸法のみでやるということだったのですが…
このワークでの体験は割愛しますが、「軽く」と言われたワークはそれはそれは大変でしたw 終わってから彼に「これは初心者には無理ですね…むしろ玄人向けです…」と伝えると、「僕もそう思った。エヘw」とか言ってました…苦笑
でも、この素晴らしいワークがまた私の中の何かのエネルギーを動かし、その翌日、たくさんのサインが降りてきて、どこかがふわっと軽くなりました。
その「どこか」とは…
私が見ないようにしていた自分の気持ちでした。
「私は悪くない」
「私は謝らない」
今回のように、大好きな人と気持ちがぶつかって、私からさよならしたことが過去にもありました。(その時の無知な私が書いた記事はこちらです)
今回、「愛の劇薬レッスン」をやろうと3人で集まりワークをする中で、私の中で過去にさよならをしたYちゃんのことが浮上してきました。
彼女とのことはもう気持ちの整理をつけていたと思っていたので、また浮上してきたことに少し驚きましたが、前回と同じように今回も手放していく必要があるのかもしれないと思いました。
でも、そうではなかった。
どこがどうつながったのかもう覚えていませんが、私が今体験していることと、私が母に願っていることがリンクしている、とまず気付きました。
私の母は6人姉妹です。
そのうち、一人は亡くなり、もう一人は大阪在住。残りの4人が沖縄に住んでいます。昔からいつもべったり仲がいいというわけではないけれど、そんなにまでも悪くなかった姉妹の仲は、祖母が死に、遺産相続で揉めに揉めて姉妹同士で争って裁判までしたことをきっかけに大きな亀裂が入りました。
この時の体験で母はとても傷つき、遺産のことをしっかりと決めて死ななかった祖母を責め続け、あれから祖母の仏壇にまともに手を合わすことができなくなりました。
今でも、争った二人の叔母と母は距離を保ったお付き合いを続けています。
私が沖縄に帰ってきたのは、このもつれた糸をほぐす役目があることも私は感じていたのですが、私が直接できることは何もないので、私はただそれぞれの叔母を訪ね仲良くする日々を続け、4人がまた一緒に仲良く話している姿を想像していました。
そして最近から、叔母達との関係性について痛々しげに語る母の話しを聞いているうちに、(お母さん、謝ったらいいのに)と頭の中に響いてきていました。
このメッセージは母にはまだ受け入れられないことはわかっていたので、その響きは私の中で止めておきました。
でも、今日、その響きが、実は私にとっても響いていたメッセージだったことがわかったのです。
私は「自分は間違っていない」という殻に閉じこもっていました。
私は「自分は正しい」と思っていました。
「謝るなら向こうでしょ」そう思っていました。
そんな自分に気づいた時、やっと理解しました。
誰が間違っていたとか正しいとか、そんなことはもう関係ない
だって私の傷はもう癒されているのだから
相手の傷も、私の手助けなんて必要なくて彼女達は自分で治してしまうかもしれない。だけど、私は私のために、そして、もしかしたらまだ傷ついているかもしれない私の愛する人達に、私の言葉や態度で傷つけてしまったことをきちんと謝りたい。謝って、このもつれた糸をほぐしたい。そして、可能であれば、また彼女達と一緒に笑って話しができるように、また彼女たちを抱きしめたいし、抱きしめられるようになりたい。(これは、「喜び劇場」を演じたい私のエゴの声なので、この願いは手放します)
謝ろう
ただ、シンプルに。
謝ろう
それから、すぐに小さな便箋にYちゃんに宛てて謝罪の手紙を書きました。
本当に不思議なことなのですが、私が今年の初めに沖縄に帰ってきた直後、Yちゃんも移住していたアメリカから家族で沖縄に引っ越しをしてきていました。しかも、私の住む市に、私が今住んでいる実家から車で10分の距離に。
彼女が引っ越してきていることは、彼女と繋がっている長男から聞きました。(長男は彼女のことをとても慕っていたので、絶縁していたことを伝えていませんでした)
聞いた時、私の気持ちは揺れに揺れて、「なんでこのタイミングで?しかもわざわざ私の実家があると知っている『わたしの市』(自分でもこのバカな考えに笑っていましたw)に?」とニュースを聞いた直後は憤りさえ感じるほどでした。でもそれからそんな気持ちもすぐに落ち着き、特に何もなく過ごしました。
一度だけ、彼女と遭遇することがあったのですが、その時私は叔母と一緒でした。
叔母の夫、私の叔父が入院していた病院で危篤となり、その連絡を受けて気持ちが動揺していた叔母がすぐには病院へ行くことができない、どこかへ連れて行って欲しいというので、彼女が普段よく行く場所へコーヒーを飲みに行った時でした。(叔父はその翌日に亡くなりました)
まさに、巡り合わせでした。
目的の場所に入ろうとした瞬間、彼女も入口へ向かって歩いてきました。彼女は子供を連れていました。
そして、彼女の家はその場所の目の前でした。
少し会話をして、「ここが私の家だよ」と教えてもらいました。
叔母のことが気がかりなのもあって、彼女とはすぐにさよならをしたのですが、この再会ではあまり気持ちの揺れもなく、少しだけさざなみが立っただけだったので、私はそのさざなみが止まるのを静かに待ち、穏やかな水面のような気持ちに戻った時に、このことはもう「終わった」と納得していました。
ですが今日、いろんな導きを経て、今やるべきことを知りました。
この記事を書いた2年前。
私は最後に、「この投稿を書くことで
また新しい思いの種を植えていることを理解し、その種が実る時がきたら、私はそれを綺麗に刈り取ることを自分自身に誓います。」こう書きました。
そして、いま、その時は来ました。
私が母に叔母たちとの関係性の改善を望むのなら、まずは私がそれをしなければいけない。私は私のためだけじゃなくて、母のためにもこの気持ちと向き合い、昇華する必要がある。
この宇宙の采配に心から感謝しました。私だけのため、では勇気が出なかったかもしれません。でも、愛する母のためなら私はできる、やる、そう思えました。
私の言動でYちゃんを傷つけてしまったことを謝り、もし許されるならばもう一度話しをしたいです。と、小さな手紙に書き、深夜から車を走らせ彼女の家のポストの上にプレゼントと共に置いてきました。それから家に帰ってきてこの記事を書いています。
この結末がどうなろうとも、私も彼女も幸せであることはもう知っています。
でも、これで私はやっとこの舞台から降りることができます。
それは、サエコさんが書いてくださった、「感情劇場」でした。
私はこの感情劇場を演じることに一生懸命でした。
私のハイヤーセルフが、これからは私は「反応しないこと」と伝えてきたのはこういうことでした。
まずは昔に起こったYちゃんとの絡まりを解いて
それから、つい最近起こったみゆきさんとの絡まりを解きに行く。
私は受け取ったメッセージの通りに動きました。
まだ現実でどうなるかは現れていませんが、きっと、もう素晴らしい結果はここにあります。
私たちのことを見守ってくださっているみなさんの愛を感じます。
ありがとう。
きっとみなさんの愛が私たちの間にある全ての物体を飛び越え、
この穏やかな結果に導いてくださったのだと思います。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ずっと見守ってくれている私の天使である長男、次男、ネイサン、そして私の愛する母、家族たち、私に愛を送ってくださっている全ての方々に心から感謝します。
紅美子
追伸
この記事を書き終えた、8月28日は、私たちが「愛の劇薬レッスン」を開始するとしていた日でした。私たちは、予めこの日に「劇薬レッスン」は「癒しの物語」へと錬金されることを知っていた、そんな気がします😌💫