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褒めてもらいたいという願望。


こんにちは。
ありすくみのです。




褒めてもらいたいと誰しもが思ってる。

お母さんに褒めてもらいたい!
お父さんに褒めてもらいたい!
先生に褒めてもらいたい!
この思い、持ってる人多いと思う。

ただ、親とはいえ、違う人間なので、自分の思ってるようには、なかなか褒めてもらえない。親としてはあんまり褒めると「調子に乗るで」とか思うこともあるだろうし。

この「調子に乗るで」という考え方もわからなくもないけど、そもそも調子に乗ったらだめなのか!?と思ってしまう。

なんか日本人的やよなーと思う。

子供としては、ただただ褒めてもらいたい。だけなのに。
「すごいね!」
「ちゃんとできるのね」
「そんなことも出来るの、すごいね」
というたった一言が欲しいだけなんだよね。

自分が望んだように褒めてもらえないから、気を引くためにあれこれやっちゃう。ますます褒めてもらいにくくなる。を繰り返す。

褒めてもらいたいという想いが強くなればなるほど、自分に対するハードルが上がっていって、自分の心が追いつかなくなる。






私は、父に褒めてもらいたくて、必死だった。父が望むような娘になりたくて、いつのまにか、自分のココロのあちこちに鍵かけて、自分の思いをしまい込んで、過ごすようになってました。それでも、褒めてもらえることはなかったなぁ。

そんな私の勝手に作り上げた父の呪縛から、ようやく解き放されて、まだまだその名残をいくつも抱えているけど、それでも笑いながら、自分のペースで生きていけるようになって、褒めてもらえたことは最後まで一度もなかったけど、父と過ごした時間の中で、身についたこと、怒られながら覚えている商売に対する考え方、これは財産だな。と。

ま、いっか。

褒めてほしかったけど、教えてもらって身についてることがたくさんあることに気づいたので、

ま、いっか
よく頑張ったよね、私。


そんな風に思えるようになったのは、ここ最近の話。
信頼できる人たちに、私の話を聞いてもらって、ようやく自分らしく生きるという大切さに気付いた。




褒めてもらいたいという願望は誰しもが抱えている。

自分が思うように褒めてもらえていないだけで、
自分は出来ていない。
自分はダメな人間なんだ
と思い込んでしまう。


でも、人と話していると、出来ていないことよりも出来ている自分に気づくことが多くなる。そうすると、褒めてほしいという願望からも解放されて、自分のことは自分で褒めようと思えるようになる。ここ、大事。


そう、自分の機嫌は自分で直すように、自分を褒めるときも自分で褒めればいい。褒めてほしいという願望は、人のモノサシで測ることになるから、そりゃあなかなか褒めてもらえない。親子でも兄弟でもそれぞれが違う人間だからね。



ここまで読んでいただいたあなたは、いま、どう感じてますか??


自分で自分を褒めるようになりたい方は
一度お話してみませんか?








【ありすくみの】
岐阜県高山市で生まれて育った生粋の飛騨人です。
飲食業・結婚式場業を経て、55歳でフリーランスとして
活動を始めました。
人生は何歳からでもチャレンジできると思い込んでます。
ずっと行きたかった鎌倉に行けた2023年。
2024年はどこへ行こうかな。



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