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「他人と過去は変えられない」は、半分ウソ
※この記事は、過去にアメブロに掲載した記事を再編したものです。
― 過去と他人は変えられない。
変えられるのは、未来と自分だけ。―
この言葉、よく耳にしますよね。
「過去と他人は変えられないから、自分を変えていきましょう」という考え方。
皆さんはこの言葉を聞いて、どう思いますか?
本当にその通りだと感じますか?
私は、半分は正しくて、半分はウソだと思っています。
過去も他人も、変わることがあるからです。
ただし、そのためには、まず自分自身が変わることが必要です。
他人を変えようとしないほうがいい理由
大前提として、私たちは他人をコントロールすることはできません。
そして、コントロールしようとしないほうが、自分にとっても良いのです。
なぜなら、他人を変えようとするととても苦しくなってしまうから。
人は、誰かに変えられることを嫌い、コントロールされることに強く抵抗するものです。
カウンセリングやアドバイスの場面でも同じです。
こちらが伝えたことを相手が実行するかどうかは、相手の自由です。
変わる自由も、変わらない自由もあるのです。
無理に変えようとすると、お互いに苦しくなってしまいます。
では、過去と他人が変わるとはどういうことか?
それは、「すべては自分次第」ということ。
過去の出来事は変えられません。
しかし、その過去にどんな意味を持たせるかは、自分の解釈次第で変えられます。
過去の意味付けを変える
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私は「毒親育ち」です。
克服するその最中は、自分の運命を呪うこともありました。
「もっと幸せな家庭に生まれたかった」
「もっと優しくて穏やかな母のもとで育ちたかった」
「もっと青春を謳歌したかった」
「もっと人に好かれたかった」
そんな思いを抱えながら生きていました。
そのせいで、まともな人間関係を築けず、たまにそばにいてくれる人に依存してしまい、結果として離れられることもありました。
しかし、「過去と他人は変えられない。ならば自分と未来を変えよう」と決意しました。
必死で自分と向き合い、親とも向き合いました。
すると、ある日気づいたのです。
「私の過去も捨てたものじゃない」と。
過去があったからこそ今の自分がある
もし私が毒親育ちではなかったら、ブログを書いていなかったでしょう。
もし私が毒親育ちではなかったら、心の世界について深く話せる仲間とも出会えなかったでしょう。
もし私が毒親育ちではなかったら、こうして言葉を届けることもなかったでしょう。
そして、今の私も、今の仲間や友達もいなかったかもしれません。
夫も、子どもも、もしかしたらいなかったかもしれません。
こうして振り返ると、私を成長させ、かけがえのない出会いをもたらしてくれた過去には、感謝しかありません。
他人の見え方が変わる
毒親を克服した今、母のことを「毒親」ではなく「愛しい少女のような存在」だと感じるようになりました。
また、過去に私を厳しく扱った人たちも、私自身が「この世は厳しい」と思い込んでいたからこそ、そう接していたのだと気づきました。
「この世は優しくて温かい」と考えるようになってから、私は人間関係に恵まれるようになりました。
すべては自分次第
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そう、「過去も他人も変えられる」のです。
すべては、自分次第。
過去は、自分がどう意味付けするかで変わります。
他人は、自分がどう接するかで変わります。
それでも、嫌な人からは無理に関わる必要はありません。
すべての人から好かれる必要もありません。
まとめ
過去も未来も、
他人も自分も、
思い通りに変えられます。
ただし、他人をコントロールすることはできません。
無理に変えようとしなくて大丈夫です。
大切なのは、自分がどう在るか。
すべての変化は、そこから始まるのです。
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✲ ✲ ✲
私は過干渉、支配型の毒親に育てられ、28歳まで生きづらく人生を無駄にしてきました。
自分のような子どもを減らしたい。
そんな思いで、発信しています。