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さようなら、プライドちゃん。寝坊した後のメンタル回復法

ああ、またやってしまった。
土曜日のあさ、スマホを開くと13:00を回っていた。


わたしは昔から、週末電池が切れたように寝溜めをしてしまうことが多い。


それはマレーシアにきても、そうだった。
最初のうちは、寝坊してしまった後、まずは落ち込み、次の瞬間には自分を責めまくっていた。


せっかくマレーシアにいるのに。
せっかくの休日なのに。
朝からやりたいことがあったのに。
もったいない。なにをしているんだ。

3ヶ月しかない今この環境なのに。
なんで時間を無駄にしたんだ。

…………と。


いま思うと、わたしは心の中にずっとプライドちゃんが棲みついていた。

マレーシアについて、自己肯定感について考える時間が増え、ふと久しぶりにあるYouTubeを見た。


そこでは、何か出来事が起こったときは、それを否定するのではなく(たとえ励ます目的だとしても)、まずは寄り添って受け止めることが、一番大事なのだ、と言っていた。


落ち込んだとき「そんなことないよ!あなたなら大丈夫だよ!」と、言うことは、ポジティブなアドバイスで、善だと思われているけれど、


" 落ち込んでいる気持ち" を置き去りにしていることでもあるので、実は心を傷つけることにもなるらしい。



まずは「そうだったんだね。それは辛かったね」
とじぶんに言ってあげること
が大事なんだって。


目から鱗で、めちゃくちゃびっくりした。
そして同時に思い出したのが、わたしの中に棲むもう1人の自分。

わたしには、もう1人の自分がいる。
それは、二重人格というよりも、常に斜め上に浮かんでいて、わたしにアレコレ言ってくる小さなわたし。

いままでそれを ”正論の私” と心の中で読んでいたけれど、それこそ「理想のあるべき姿」を詰め込んだ、プライドの塊なんだと気づいた。

わたしは、他人の目をものすごく気にしてしまう。
”正論の私”が登場するときは、必ず他人の目や、自分の理想から外れたときだった。

たとえば、わたしがミスをしたとき、正論の私はいつも「起こってしまったことはしょうがない!引きずる方が良くないよ!ハイ!切り替え!」と言ってくる。

でも今思うと、それも ”落ち込んだ気持ち" を蔑ろにして、さらに気持ちを押しころしていたんだな、と。

最近わたしは、スパルタ思考の "正論の私"(プライドちゃん。笑)を封印して、寄り添うように意識をしている。


ミスをしたときに、まずは
「辛いよね、ミスして悲しかったよね」と受け入れるようにしてみた。


そうしてみたら、なんだか不思議。
思い込みなのかもしれないけれど、だんぜんに前よりも心が苦しくなくなった気がする。


もちろんミスしたら落ち込むし、悲しい。しばらく引きずる。それはなかなかすぐは変われない。でも、すこし前よりも心に余白ができた気がするのだ。

今までのわたしは、ミスをしたら、心臓がキューっと苦しくなって、ああ〜またやってしまった。どうしよう。わたしはなんでこんなにダメなんだろう。と、しばらく息も浅くなって苦しくなることが多かった。


でも最近、プライドちゃんを手放してから、落ち込んだとしても、深く息を吸えるようになった気がする。


これは、わたしにとっては大革命で、本当にびっくりしている。
「自分の気持ちを、まずは受け止める」


それだけで、生きづらさから少し解放されるかもしれない。
ぜひみなさん、一度ためしてみてください🙏


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