人が大切にしていることを、あなたも大切にできるか?
この前、母と大喧嘩した。
正直、今も母のことは許せていない。
だが、母との大喧嘩から、気づいたことがある。
自分のためにも、誰かのためにもなると願って、わたしの気づきをここにつづろうと思う。
母との喧嘩は些細なこと
ある日、母から「平日に病院に連れていってほしい」と連絡が来た。
正直、その時期は有給を取る暇がないくらい忙しかったのだが、母への心配もあったので、やっとの思いで母のために有給をとった。
その間にも、母のルーズさや人にあまり気が使えない性格もあり、母とはひと悶着あった。
最終的に、ひと悶着からケンカが収まらず、結局、母は病院には行かなかった。
母との一連の出来事で、わたしは数年ぶりに、声を荒げるくらい感情が高ぶった。
そして、いつもなら軽く流せることも、今回はどうしても許せなかったのだ。
なぜ、わたしはこんなに腹が立っているのだろう?
何とか連れていってあげたい、というわたしの思いや行動を無下にされたから?
貴重な1日の休みが潰れたから?
母親の行動が自分勝手だから?
考えてみて、少し違うことに気づいた。
わたしにとって、大切なもの
ああ。
わたしは、わたしが大切にしている「時間」を無下にされたことに腹が立っているのだ。
わたしは、時間を効率的に使いたいタイプだ。
ご飯やイベントなどは、入れないのは嫌なので必ず事前に予約するし、何かが早く終わり、時間が余ったら、別のことに費やしたい。
人によっては、行き当たりばったりで、ただその時間を楽しむ人もいる。
わたしは、行き当たりばったりではなく、時間をひとつのブロックとして、余分なスペースがないように当てはめていきたいタイプなのだろう。
テトリスのように。
そして、「時間は有限である」という気持ちが人一倍強い。
だから、自分だけでなく、周りの人の時間も配慮したいのだ。
仕事でも、相手の時間を使うことに対して、めちゃくちゃ気を使う。
別に自慢したいのではなくて、そのくらい私にとって「時間」は大切で、優先順位が高いものなのだ。
わたしの母はマイペースで、平気で時間に遅れてくる。
でも、相手が遅れてきても母は平気なのだろう。
母にとっては、時間というものが、自分の中の優先順位としては低いのだ。
あなたにとって、大切なものは何か?
大切なもの、という概念を別のことでも想像してみてほしい。
子供がお母さんの顔を書いた似顔絵があるとしよう。
世間一般的には、値段もつかない。
ただ、その似顔絵は、子供の母親にとって、お金にも変えがたい大切な大切なものではないだろうか。
高校の時、仲の良かった友達とおそろいで買ったストラップ。
他人にとっては、どこにでもあるただのストラップだ。
だけど、あなたにとっては、ストラップを通じてたくさんの思い出がつまっている、大切な大切な宝物なのだ。
「大切なもの」とは、価値観でも、モノでも、コトでも、全て同じだと思う。
誰かの大切なものとどう向き合うか
ただ、同じ温度で、近さで、周りの「大切なもの」を大切にすることの方が難しい。
なぜなら、何かが「大切なもの」になるまでの体験の重みも、経験の深さも、背景も、人によって全然違うからだ。
だから、相手が持つ考え方や価値観へと、自分のものを直すのは正直難しい。
でも、大切にする姿勢だけでもあれば、良い方向へ変わってくるはずだ。
これだけでも、人間同士のコミュニケーションってうまくいくだろうな、と思ったりもするし、まわり回って相手も自分のことを大切にしてくれるはずだ。
だいぶ長くなってしまった。
まだまだわたしも未熟だけど、誰かの大切なものを、大切にできるようになるといいな。