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何だかわかりませんが、突然と「幸せって何?」というお題で書きたくなりました。
居ても立っても居られない状態。

ときどきですが、小さい頃から、突然、体が震えるような、暖かくなるような「幸せ」があるとしたらこれがそうなのかなということを感じたことはあります。
体に訴えるというか感覚に来るというか、そんな感じです。
そして、それと同時に「何も要らないんだ」という感覚も入ってきます。
言葉ではうまく説明できなくて申し訳ないです。
頭では幸せを理解したことはありません。
これは、あくまでも私が感じることであって、他の方の感じ方はわかりません。
が、幸せを感じるとしたら、私が感じた感覚と同じなのではないかと思います。



チャネリングをする際に、いろいろとメッセージを送ってくださるマオリの神様のランギヌイ神様にお聞きしました。
二人のやり取りは会話形式で、の部分はランギヌイ神様の、の部分は私自身の発言です。



「幸せとは何ですか。」
「人間が作り上げたものかもね。本来なら、いろいろな感情に言葉はいらないんだよ。」

「ん~、そうですか。わかるようなわからないような。幻ですか?」
「そうとも取れるかもしれないが、でも、現実でもある。」

「私の苦手な方向へ行きそうなので方向修正していいですか?幸せの定義は?」
「ふー。そんなことに答えなければいけない?」

「できれば、お願いします。」
「では、あなたにとって幸せとは何ですか?」

「何も気にしないで、不安にもならず、心配もせず生きていくこと、かもしれません。そう言えば、幸せとは何かとはあまり気にしていなかったかも。ただ、もう少しお金があったらいいなとか、そういうことは思いますけど、それが幸せかっていうとそうでもないかなと。」
「もっと自分に素直に生きて行ったら?」

「それは、私が今、自分に素直に生きていないということですよね。どうしてそう思うのですか。」
「いや、だって、体全体で自分を否定しているのがわかるから。」

「そこまでですか?ここ何年かで、段々と良くなってきたかと思っていましたが。」
「だって、以前のあなたはあなたの中であなた自身が存在していなかったんだからね。それを考えたらよくはなってきているとは思いますよ。」

「そこまで自己否定が強かったとは。言葉が出てきませんが、わかるような気はします。」
「なぜそこまで自分を否定するのかを見ていったらどうですか。好きにならないと。だって、これは重要ですよ。自分自身なんですからね。ニュージーランドを好きになるとかならないとか以前の問題ですよ。そうそう、自分を見つめて行ったらニュージーランドも受け入れられるようになりますよ。だって、自分のことが大好きになれるんだから。」

「では、話を元に戻して、幸せとは何ですか?」
「正直に言っていいですか。それは考えても仕方のないことですよ。幸せがあるとして、幸せを追い求めているときに人間は遥か彼方を見つめている。視界では見えないようなところをね。そのときに何が起こっているかわかりますか。自分の足元が全く見えていないのです。こんな危ないことはないですよ。自分をしっかりと見てください。自分の足元をしっかりと固めてください。」

「幸せを求めるってことは蜃気楼を追っているようなものなんですか?」
「そう思いたかったら、そう思ってください。」

「少々投げやりなお言葉なような気がしますが。」
「幸せを考える暇があったなら、今できることをしてください。」

「わかりました。あまりこの話題が好きではないようですね。いつもありがとうございます。」
「あなたはあなたでいてくださいね。」


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