母が死去するまでの濃ゆい25日間⑥ ~外国人はダメだYO~
私はたまたまカウンセリングの勉強をしていて気がついたが、
いや、別に勉強していなくても、だいたいの人がうっすら気がついていると思うのだが、
人生のラスボスは実は「母親」なのではないかと思っている。😓
お母さんに認められたい
お母さんにほめられたい
お母さんに愛されたい
無意識に人が持っている願いのようなもの
それが原動力となって人は頑張れるのかもしれない
今の時代の親御さんはどうしているかわからないが、
私の世代の親は簡単にこどもに
「愛してる」なんて言わなかった(と思う)
そして私の世代の親は、テストの点がよかったとか、かけっこで1番だったとか、何かを頑張ったという条件付きで子どもを褒めることが当たり前だった(と思う)
ちなみにブラジル人の場合は、
とにかく自分の子供をかわいがる。
毎日ハグとかスキンシップをするし、キスするし、言葉でも「かわいい」とか褒めまくる。
褒めまくるというか、本当にそう思っていて、声に出てしまうのだろう。
そして、自分の子どもでなくても、子どもをかわいがる。
むやみに子どもに「あれダメ、これダメ」と言わない。
そうやって、ブラジルの子どもは無償の愛を感じて大人になっていく。
(ただし、私の彼とか日系人の親はしつけが厳しく小さい頃は怒られまくっていたらしい😅)
私は、つい最近まで、心理学やカウンセリングでいろいろ学ぶまでは、
親との関係が自分の中でこじれまくっていた。
(どうこじれまくっていたのかはここでは割愛させていただく)
なので、8年前に彼氏が日本人でないことに反対した母と対立した時は、
私の考えはあなたとは違う
ということをハッキリと言葉と態度で母に伝える必要性を感じて、伝えた。
最終的に、母に暴言を吐いた。
母からのメモ書きの内容については、
その何年後には、そのこと自体を母本人が忘れてしまっていて、
なんも変わっていなかったけど、
変わっていないどころか、
「会いたくないから。連れてこないでちょうだいね」と口にするくらいの拒絶っぷりだったが、
(これを言われたときは本当に悲しかった)
でも、
もう、母という他人の意見を変えることはやらない
と決めていた。
本当は受け入れてほしいけど、
受け入れてほしいというのは相手にとっても同じなわけだし、
相手の考えを変えるなんておこがましいことだし、
私の意見や考えは伝えたし、これは私の人生だし、私が決めることで、
もうそれでいいのだ、と思っていた。
彼にも正直にそのことは伝えてあった。
すると、
「僕のおばあちゃんも同じだった。
黒い人とは結婚しちゃダメって言っていた。
昔の人だから仕方ないね😅」
と母の考えを理解してくれた。
けれど、ここ数年、母の行動範囲が狭まって、友だちとも出かけなくなって
気弱になって、私に戻って来てほしいと言い出してからは、
さすがに心配になったので、東京に拠点を移すことも考えていた。
彼のいる愛知と東京を行ったりきたりもありかな、と。
彼は実家の近くにアパートを借りるとか、一緒に東京に住むことも考えてくれていた。
いつでも彼は、外国人はダメと母が言ってるのをわかっていながらも、
母を大事に想ってくれていた。
歳を取って勘違いや物忘れが多くなったり、今まできちんとできていた日常のあれこれが出来なくなっていた母に対して、私はときどき苛立ちを感じて言葉が強くなってしまうこともあったのだが、
そのたびに彼が
「お母さんは歳なんだからそんなこと言っちゃだめ。
みんな歳取って、いつかはそうなるんだよ」と
母をいたわるような言葉を発するたびに、
彼からの一方的な、なんというか母への片想いのようなものだな~、せつないな~と思っていた。😔
実は去年、実家から愛知に運んでもらいたい物があって、彼が車でうちに来たことがある。
マスクをしてうちに入って、母と初対面‼️
「彼」とは紹介せず、物を運ぶために来てくれた「友達」として紹介した。
それでも、超緊張した‼️
すると母は、
「まぁまぁ、遠いところ悪いわね、前に会ったことあるわよね?」と言い出したのだ。
私「会ったことないよ」
(前に写真見せたから覚えとるんかな💦)
母「そんなことないわよ。前に会ってるわよね?」
彼はタジタジで、何を言われても「はい」「はい」しか言わなかったので、
そういうことになってしまった😂😂😂
母「気をつけて、、よろしくお願いしますね~」
で、終了😂
「彼」としては紹介できなかったけど、初対面は上々だった😁😁😁
彼は日系ブラジル人だが、髪の毛も黒いしマスクをしていると日本人に見えなくもないので、
こんな感じで少しずつ彼を認知してもらって、
いつかはちゃんと紹介できれば、、、と思っていた。
結局それは叶わなかったけど。。。
とにかく、そういった事情があって、
私は私の幸せのために愛知に彼と住んでいた。
もし、母が彼を受け入れてくれたなら、
東京で近くに住むとか、もしくは一緒に住むとかできたし、
彼が東京にいたなら家の中の力仕事とか、高いところの仕事とか、車もあるからあちこち行けたし、頼めばなんでもやってくれただろうし、母が一人で住んでいることの不安は減っていたかもしれない。
きっと健康上のことも不安になって、高齢者施設に入ろうと思っていたのかもしれない。
そしてそのことについて兄に相談しようとしているメモが残されていた。
翌日、お見舞いに行くと、
「あ〜、うちの子が来てくれた。ありがとう」
「もう家に戻れない気がする」
「迷惑かけるわね、ありがとうね」
「入院費大丈夫?年金入ってた?」
「ここのジュース美味しくない。いつも飲んでるリンゴジュース(Dole)がいい」
「ハナちゃん(猫)は元気?」
「もしこのまま家に戻れなかったらハナちゃんも年だし一緒に(逝くか)、、、」
私「やめて!連れていかんで!😨」
といった会話が展開される。
兄もようやく来れて、
「あ〜、うちの子たちが来てくれた~😁」と大喜び。
そして、上記と同じ内容をいろいろしゃべろうとするので、
そのたびに、アラームがピーピー鳴り、
「もういいから、しゃべらんで」としゃべり続けようとするのを止めるのが大変なくらい、気持ちは元気😂。
私は、家族は入院のときに何が必要で、どういうことをする、というのがいまいちわかっていないので、いちいち看護師さんに聞かなければいけない。
といっても、最初にいろいろ説明はしてもらっているので、大した内容ではないのだけど、そもそも緊急時に看護師さんを呼ぶブザーみたいの(ナースコール)がどこにあるかもわからなかった。
母の病室はナースステーションのすぐ近くだったけど、
そこから見る限り、看護師さんは本当に忙しそうで、
呼ぼうにも呼ぶタイミングがわからない。
カフェやレストランのように、店内を見回していればギャルソンと目が合って、気づいてこっちに来てくれる、なんて世界じゃないのだ。
いっくらナースステーションを見渡しても、だ~れもこっちを見ない。
用事があったらこっちから「すみません!」と声をかけないといけないのだ。
質問をしても、「今日の担当者は、、、、ちょっとお待ちください」と言われ、
担当看護師さんが来たら、さっきの看護師さんにした質問をもう1回しないといけないのだ。
私は接客業をやっていたこともあって、
お客様に2回同じ質問をさせないために、担当者にはお客様から聞いた質問の内容ごと引き継ぐというのが当たり前な感じだったので、最初はちょっと面食らったが、
その後、その考えはどっかに吹っ飛んでしまった。
病室内も、病棟のフロアも、高齢者の患者ばかりで、
ここは高齢者施設か⁉️と衝撃を受けた。
いや、実は何年か前からわかってた。。。
数年前に父が入院してお見舞いに行ったときに、
父は「トイレをしたいから呼んでいるのに(看護師さんが)来るのが遅い」とぼやいていたのだが、来てくれた看護師さんは父の孫くらいの年齢の若い女性看護師さんで、要するに、私の娘くらいの年齢の看護師さんだったのだ。(娘いないけど)
なんか、もう、申し訳なくて、
こんな若い女の子がこんなわがままジジイの下の世話しないといけないなんて、本当ごめんなさい❗お給料、たくさんあげてあげて‼️とその時は本気で思ったことを思い出した。
私の前のバイトの内容は、看護師さんと一緒に仕事をしていたのだけど、その話をしたところ、
「たまにそれ言われるけど、こっちは仕事だからなんとも思っていない」とのことだった。
そっか、割り切ってやってるのね、むしろ割り切ってるからやってられるんでしょうね~
「では、今日は帰ります、よろしくお願いします」とお伝えしたかったのだが、看護師さん、みなお忙しそうで、動きを止めさせるのも憚られ、
そっと帰る日々が続いた。
つづく