戦争と平和と無関心
昨日は後楽園周辺に用事があり、
部活が休みに入った息子と一緒に出かける。
彼は腹が減ると途端に機嫌が悪くなるので
面倒くさい。軽い低血糖症が起きているのだと思う。
でも何だかこれ、赤ちゃんの時みたいだなと思っていた。最近は低血糖とさらに思春期(ホルモン)の合せ技なのだろう。たちの悪さは成長してる。
速やかにコンビニに入る。
低血糖…内側で何が起きているかの察しはつく。
私もそうだったから。
組成回路の傾向が似てしまった。
用事が終わって歩いて駅に向かっていると、
戦没者霊苑の前を通りかかる。
今日は長崎の日だったね…と話しつつ、
休憩がてら見学させてもらう事に。
敷地に入ってすぐに何故か軽くなったと言う。
彼はたまに、まだあの世と繋がっているのかな、
と感じる発言をすることがある。
へ〜それはいいね、と言い合いながら
遺品の展示もある会館に入る。
一階で当事者の方たちが戦中戦後を語っている
映像を観ることができる。1人30分弱の映像。
5人分あって、うち2人の物語を聴く。
彼が選んだ最初の方の出身地が、福岡の朝倉との
ことで軽くびびる…
息子の祖先は朝倉(秋月藩)の忍者(隠密)なのです。持ってるね君、と話す。
次の、シベリアに行かれた方のインタビューで、
玉音放送を聴いてどう思いましたか?の問いに、
戦時中は思考停止していたのでずっとぼーっとして
いましたと言っていて、
シベリアに向かう道中の思いについても同じように
話されていて、むむむ…と思った。
何も感じなかった、と。
ポリヴェーガル的に
フリーズ(凍りつき)しながらの強制活動。
究極のサバイバル状態。
静かな語らいから、その重さとストレス度合いを慮ると暗澹たる思いがする。
2階の遺品展示室へ。
入口にあった出征旗に血痕がついていたことに目敏く気づいていた。
色々な遺品の中で、硫黄島からの軍靴が展示されていた。その靴の変形の仕方について、履いていた人が倒れていたから、靴の側面もよじれて固まって、引っ張られ続けた逆側面には細かい亀裂が入ったんだと思ったと、帰宅後に話してくれた。
そんな風に観察していたんだね。
あの靴を履いていたのは、日本のどこに生まれた、
何歳の、どんな人だったんだろう。
広島の日の夜は、歌やピアノやトランペットや語らい…盛り沢山だったウォンさん主催の平和の集いにも一緒に参加できた。
伊勢崎賢治さんから国際紛争交渉についての話しを
お聴きする時間もあった。
現場の話やパレスチナのジェノサイドについても。
兵士がSNSに攻撃の戦況をアップする様子を見て、
自分が生きている間にあんな状況を目にするとは
思っていなかった、と話されていた。
それを聞いて、あぁ人間が壊れているんだなと
思った。コツコツコツコツ壊されてきたんだなと。
色々な思いが浮かんでは消えての貴重な時間を
一緒に過ごした。
戦争なんてどんな理由があろうと絶対に駄目だね…
と話す。夏休みは色々と話せていいな、と思う。
メモ)戦争の反対は無関心
でももしかして、戦争も無関心もどちらも背中の時間(背側迷走神経複合体)優位という事ではなかろうか…もう既に身体感知的には戦争と同じ状態なんじゃないかな@特に日本が?世界も?