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AIR 3331に向けて

3331 Arts  Chiyodaのレジデンスのページにプロフィールが掲載されていました。実際には明日始まりのプログラムなんですが、私の個人的都合により1日遅れの10/26からとなります。

今日は荷造りを完了。かなりの重さの3個口。発送して少しホッとしました。実際に作業を始めたら足りないものも出てくると思うけど、それはそれで工夫して。何よりも時間をたっぷり取れるということがとてもありがたく、楽しみです。

このコロナの状況下において色々な業種の人が知恵をしぼる時、WEBで発信するということに行き着くのは当然の方向性だし、他にあまりよい考えも(私の場合)浮かばないのですが、実際の作品の持つアウラというか風合いというか、空気感というか、それらは最終的にはWEB上では伝わりきらないと思うのです。では、その辺をどういう風に考えるか。

最終的には「よっぽど見たい作品は実物を見にいく」ということに尽きると思うのです。私もハシゴしてピーター・ドイグとオラファー・エリアソンを見に行った日がありました。でも「よっぽど見たいぞこれは」という風になるまでには、ある程度の情報量の積み重ねがないと出来ないことかもしれないという風に思ったわけです。特に有名でもなく何やってるか分かりにくい作品の場合は、自分で自分を理解する作業も含めて押し付けがましくなく出してみたいな、と。

たまたま通りかかったギャラリーにあった作品をガラス越しに見て一目惚れのようにビビっとくるということは、あるかもしれないけど、この情報社会においては、少しずつ目にしてゆっくり知り合っていくような状況も多いように思います。

神田伯山氏が「捨て耳」という言葉をTVで言っていました。芸を教えてもらうのではなく盗むという話の文脈で、楽屋で師匠の着物を畳んだりしながら聞こえてくる師匠の講談を、聞くともなく聞いている状態。それが実は一番勉強になっているという話。

例えはTwitterなどを流して見ているときに、リラックスしている上に自分のタイムラインは自分用にカスタマイズされているわけだから、必要な情報がそれとなく流れてくるというような、そういう状態はもしかしたら良いのかも、と今のところは考えています。このテーマはまだまだ掘り下げたいと思っているので次に続く…ということで今日はここまで。

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