信頼できるドクターとの出会い
この最高の笑顔の先生が 乳がんの主治医
広瀬病院の 古賀稔啓院長先生です。
乳がんの完治は10年と言われています。
完治までは3ヶ月ごとに定期検診を受けます。
なので 先生に3ヶ月ごとに お会いしてます。
検診の日は めちゃくちゃ嫌な日で 不安で押しつぶされそうになって
逃げ出したくなるけれど それも 先生の笑顔と
「今回も異常ありません。元気に仕事してください。」という言葉で
一瞬にして良い日になります。
なんていうのかな、命の保証を次の検査までもらったような
ものすごい安堵感に包まれます。
最初、左胸の癌を見つけた時
「さっと手術して スッと仕事に戻りましょ」って
言われました。
たぶん これは 人によって違うと思うけど
私の場合 先生の この言葉が 凄く気持ちを楽にしてくれました。
もちろん乳がんのタイプ、治療方針、どのくらいの切除になるかなどの
説明もあったけれど それよりも 私が安堵したのは
乳がんという初めての病気との向き合い方、仕事の復帰への具体的な
話など 私が一番心配していることへの説明が しっかりあったのが
嬉しかったし安心しました。
あ、この先生の言葉を信じて治療しよう!
すぐに気持ちは かたまりました。
なので、この時 セカンドオピニオンはしていません。
なぜなら これは2度目の癌で、すでに 子宮頸がんの時に
病院選びは もちろんですが 主治医とのコミュニケーションが大事と
学んでいたからです。
子宮頸がんの時は クリニックの検査から大きな病院にまわされ
精密検査を受けさせられたので もしかして?とは思っては
いましたが まるで『風邪』の説明なの?ってくらいに
さらりと癌の告知をされ
え?子宮頸がん?
頭の中がパニックになっている時に 次から次へと詳しい説明が始まり
訳わからんし、さらに最悪のケースの話まで進み、、、
え? 私、死ぬの?、、、
ものすごい不安と絶望感に襲われました。
患者への配慮から重くならないように
淡々と話しているのかもしれないけれど
癌を宣告された側としては 先生のペースについていけません。
診察室で ポツンと 置き去りにされた感じでした。
待合室には待ってる患者さんが たくさんいて、
私に そんなに時間は取れないのだろうけれど
あまりにも病院のペースで 手術日は最速でこの日、術前検査は この日、
と次々に看護婦さんに説明され、、、
こちらが納得する間もなく会計に回されました。
信じられなかった私は
セカンドオピニオンを受けました。
人生で初めてがんを告知され、間違いであってほしいという
微かな望みもありましたが・・・
診断結果は同じでした。
ただ 先生から こう言われました。
「今回の円錐切除の手術は うちでも出来ます。
ただ うちは 子宮筋腫などは得意としていますが
癌の場合は症例を たくさん診てきた病院の方が
今後の事を考えると安心です。」と。
そして
「もう一度 その先生と腹を割って話してみられませんか?
それでも ダメだと思ったら うちへ いらしてください」と。
セカンドオピニオン先の病院の先生に背中を押され
私は もう一度 最初の病院の先生と本音で話し、
分かり合うことができました。
癌の告知に慣れたくないけれど、この経験があったから
乳がんの時は とても冷静に先生の話を聞けましたし
私の一番聞きたいことを 私が聞く前に
しっかりと説明して下さったので
この先生と闘っていきたい!
そう思えました。
古賀先生は、めちゃくちゃポジティブな言葉しか発しないんです。
毎回 検診の終わりは 笑い声に包まれています。
私は、3ヶ月ごとの検診で 頑張る力を頂いています。
中本千穂師長代理も その一人です。
抗がん剤投与の長く辛い時間、ずっと励ましてくださいました。
寄り添い、支えてくださった病院の皆様に 本当に感謝しています。
病院選びや 主治医とのコミュニケーションは とても難しいけれど
ここは妥協してはダメだと 私は自分の経験からそう思います。
納得して選んだ先生だったから 信じて辛い抗がん剤治療も乗り越えられたと思っているからです。
乳がん完治は10年。
先生とも 長いお付き合いとなります。
私も まだまだ長い道のりです。
でも 1年、1年 乗り越えていくしかないですもんね?
病は気から。
笑う門には福来る。
毎回 検診後は 笑顔で帰れるようにしたい。
その為に 健康管理もしっかりして
とにかく楽しく生きる!!
これが 私のモットーです。
※写真撮影の時のみマスクを外しています。
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