見出し画像

15年前のあの日@北海道

こんばんは。Kumiです。
沖縄は再び台風が再接近しています。

が、北海道投稿を続けます。
これが最後!
初めて北海道を訪れた時のことを書こうと思います。

初めての記憶

私が初めて北海道を訪れたのは小学5年生の2月。
今年26の代なので、約15年前の冬でした。

なぜ訪れることになったのかは、私が在籍していた学校特有の制度があったので次の章で説明します。

始めて降り立った北海道は、旭川市。北海道の中央に位置する市です。
那覇空港から羽田空港に行き、羽田で乗り継いで旭川空港に到着しました。

飛行機から1歩出ると冷たい風が、すきま風で吹いていました。
初めて感じる冷たい風にテンションが上がります。
それもそう。

人生で初めて見る雪景色だったのです。

雪が降ることのない沖縄に住み、雪を見た事のなかった私たちは薄着のまま出ようとして引率した先生や保護者に怒られるという🤣

荷物を受け取り、防寒対策をして外に出ると、一面の雪景色⛄️
頬に刺す冷たい風、手に感じる凍えるうな冷たい風…
全てが初めての経験でした。

学校の交流事業できていたため、友好校の関係者に歓迎されながらホテルに向かいました。
3泊4日の旭川旅行が始まりました。

旭川市滞在中、友好校の児童との交流やウィンタースポーツ体験、雪まつり散策などを体験しました。
旭川動物園に行ってシロクマを見て楽しみました😁

なぜ旭川なのか

私が在籍していたのは沖縄県に唯一ある国立大学の教育学部附属小学校でした。
当時は1学年120人が選抜試験(面接とくじ引き)を経て入学し、6年間過ごします。
途中、転校で人数が減っても増員されることのないまま学校生活を送ります。
ほとんどが附属中学に進学するので9年間、共に肩を並べて勉強する同級生です。

私が在籍していた頃、1つの事業がありました。
最北端の附属小学校と、最南端の附属小学校で協定を結び、児童を交互に送るというものです。
夏は北海道教育大学の附属小学校の児童が沖縄に来て、沖縄の児童と交流します。一緒にガマに入ったり、マリンスポーツをしたり、ホテルに泊まったり。沖縄側の学校の教員や保護者、児童がおもてなしをします。
冬は逆。沖縄の私の学校の児童が北海道旭川市に行き、小学校の児童と交流したり、ウィンタースポーツをしたり。真冬の北海道を満喫します。こちらも、北海道側の学校の教員や保護者、児童がおもてなしをします。

参加者は希望制。希望した児童が行くのです。その間の出席は学校の事業としていくので出席扱いとなります。

残念ながら、10年を節目に協定が継続されることはありませんでした。
北海道側の負担が大きすぎたのです。暖かいところになれている私たちにとって真冬の北海道は未知すぎて準備ができないことから、スキーウェアやシューズなど、毎年児童のサイズに合わせた服や靴を北海道側が全て揃えていたのです。児童らのリサイクルでやっていたとはいえ、1人ずつ合うサイズを見つけるのは困難を極めたそうです。また、小学校の児童と交流して、外で遊んで、また校内で交流するあいだ、ずっと保護者が体育館で待機し、スキーウェアを乾かす作業していたのです。それに、スキーをする際に一緒に来て、教育大の学生と児童が付きっきりという手厚いサポートもしていたのです。

昔、負担が大きいと言ってたと親から聞いていた理由が、成長するにつれ理解できるようになりました。

10年でなくなったのは残念ですが、学校の事業で冬の北海道に行けて良かったです。貴重な経験が出来ました。

あれから15年

初めて北海道を訪れてから約15年。
1度目は、お年玉などを貯めて自力で旅費を出し、2回目は親に出してもらい、小学5と6に2年連続で行くことが出来ました。

3度目となる北海道は、2023年7月。
先日の北海道旅行でした。
2度の北海道と異なり、夏で、初めて訪れる弟子屈町。
初めてづくしでしたが、楽しかったな〜。

また、行きたいな…。

今回の北海道旅行を終えて、むかし、学校の事業で訪れた北海道を思い出しました。
懐かしいな…。
あれから15年経つのか…。

15年前を少しふりかえってみました。

いいなと思ったら応援しよう!