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ボーイスカウト活動 高校ver
さて、昨日のNoteにボーイスカウトについて書きました。
私は10歳〜23歳までボーイスカウト活動に参加していました。今日は、高校バージョンです。
お付き合いください…。
前回のnoteはこちら
富士章を目指した高校生
高校生になり、私はボーイスカウトでいうベンチャーに上進しました。ベンチャースカウトは、一人またはグループでプロジェクトを企画・計画・報告することが求められます。若干、社会人がやることを当時からしていました。
学業や部活をこなしながら…日本ジャンボリーに参加したり、県連の行事に参加したりと動き回りつつも、目まぐるしい3年間を過ごしました。
もちろん、ベンチャーまで進級過程があります。
ベンチャーでは
ベンチャー章→隼→富士
の3段階でした。
※当時の進級過程なので、現行制度とは異なる。
私は富士章を目指しました。
富士章とは、ベンチャースカウト年代において最高位のスカウトに与えられる章であり、全年代における進歩過程の到達点とされています。スカウトが受賞する進歩章・進級章の中で唯一日本ボーイスカウト連盟理事長の名で授与される章です。年間の受賞者数も約300人(推定)。全スカウト人口が約9万人いるので、過去の受賞者を含めても一握りの人しか辿り着くことができません。
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私も中学2年のころに、県内の富士章授賞式が開催された時に出席し、「私も取りたい!」と強く思ったのを今でも思い出します。
ベンチャーに上進し、富士章を目指せる土俵にたった私は、ベンチャー章を取り、隼へと焦点を当てました。
大変なのは隼からでした。富士章が最高位の章と位置付けられる所以はここか!と叫びたくなるくらい、苦労の連続でした。
野営や炊事などの規定の技能章を取得しながら、奉仕活動を実施する。さらに定められた数のプロジェクトを企画・計画・報告する必要がありました。出しては隊長にダメ出しされる日々。心が折れそうになる日もありましたが、富士章を取りたい一心で頑張りました🔥
結果、高校2年の春休みに念願の富士章を受賞することができました👏
長かった。富士山に例えると、ベンチャー章が1合目、隼が6合目、富士が頂上の感覚でした。高校3年に上がる前に念願の富士章に辿り着き感無量でした。特に、県連では私が授賞式を見た中学2年以降、一人しか富士章受賞者が出ていなく約3年ぶりの受賞だったと思います。
なぜ、富士章の受賞にこだわったのかというと…
毎年、富士章受章者の中から各都道府県の代表を選出し、東宮御所や首相官邸・文部科学大臣への表敬訪問を日本連盟主催で実施していました。
例に漏れず、私は高校を卒業した2015年度の表敬者に選ばれ、東宮御所に表敬訪問をしました。(沖縄からの受賞者は一人だったので必然的に東宮御所になりました)
高校の卒業式から2週間後には東京で表敬訪問に向けた事前訓練と表敬がありました。当時、表敬で一緒だったメンバーとは今でもSNSで繋がっていたり、ローバーに上進した後に顔を合わせる機会が多かったです。
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長くなったのでこの辺で。
振り返りどのくらいで終わるのかな…
次で終わるはず…!
高校生だけでも長くなるとは…。
富士章を目指した高校生は、学業に部活にボーイスカウトに目まぐるしく3年間が過ぎていきました。あっという間とはこういうことかというくらい。
当時、プロジェクトの企画書、計画書、報告書を書いてはダメ出しされ、嫌いになりかけましたが、ベンチャーでの経験が今に生きている気がします。少なくとも大学でサークルの幹事になった時に役に立った!社会人になってからは記者をしていたため、出向計画とかは書いても企画書を書くことはなかったので…腕が落ちてるかも🫠
本当は、中学生までボーイスカウト活動が楽しくなかったんです。
楽しいと思ったのは富士章を取ってから。さまざまな人と繋がり視野が広がったことで、活動にも前向きになれました。この辺のエピソードも明日大学生編で書きます(^○^)
それではまた明日👋