うまくいってもいかなくても、私は変わらないんだ。
心が金縛りにあったかのように。
これまで当たり前にできていたことが、当たり前にできなくなっていた。
何も難しいことではないのに、なぜかできなくなっていた。
昔から自分で考えた道を進む人生を選んできた。
努力か才能かでいうと、完全に努力側の人。
やらないとできない。
でもやると決めたことをコツコツ続けられるし、簡単にやめずに続けるからいつも何かしらの結果につながってきた。
「あなたは、しなやかに揺れて、折れそうで折れない柳の枝のようね」
そう母に言われたこともある。
でもまぁ、人生は思いもよらないことが起こるものだ。
いろんな出来事が相まって、いつもできてた「自走」ができなくなるとは。
自分が自分じゃないみたい。
それが前述した心の金縛りである。
焦っても何もできないし、別の案も思い浮かばないし、潔く観念した。
そんな自分を受け入れて、Reスタートを心に決めた。
そう決めて、今の自分でも無理なくできることだけをやり始めた。
夢や目標を想像すると苦しいので、今は一旦傍に置いといて。
これをやらなきゃな、今日こそは手をつけないとな、、、
でもそれができないことが何日か続くと、自責の念が湧いてくる。
この「自責」というのは非常に厄介だ。
これはやりたいことなのか?
いつの間にか義務になってないか?
それすら分からなくなっていたけれど。
それでも私には責任ある役割がいくつもあるし、朝は毎日やってくる。
こうなったらと、これまでの自分のやり方から新しいツールに頼り、やったことのないやり方に変えてみた。
そして今、2ヶ月と少し経った頃。
これまでどうやっても長続きしなかった、できなかったことが次々と習慣化していった。
健康面では、朝の体操と宅トレ。
ずっと、やりたくなったタイミングで思いつきで始めてはいつの間にかフェードアウトしていたけど、毎日嫌に思うことなく続くようになった。
仕事面では、資料作成を締め切りギリギリにやる気になって納品してたのに、何日も余裕もって仕上がるようになった。
精神面では、あんなにも自分を苦しめていた自責の念が消えていった。
びっくりした。
全部できてた。
今日やると決めたことができる日々は、とても心地いい。
あとは、弱音も吐いた。
昔から見た目の印象からか、白鳥のように優雅に見える(うまくいってるように見える)といわれることが多い。
でも自分自身は水面下でいつも足で水を必死にかいてもがいている自覚があって、その差がしんどさを助長させていたのかもしれない、と今は思う。
できてない今の自分を見せるのは恥ずかしい。
そう思ってたんだなぁというのは最近わかったこと。
自分はいつだって変化していて、昨日の自分と今の自分は違う。
なんでも自分で決めて自走できていた自分もいれば、信じられないくらい弱い自分もいた。
自分が腹を括って判断を強いられる場面や、自分では解決できない課題を突きつけられて、自分のことは二の次になった。(二の次にされてしまう、という感覚はない)
でも。
自分を信じることは、絶対に諦めない。
自分の尊厳は、誰にも邪魔されない。
そしてここから、また始まり。
心の金縛りは、気がついたらだいぶと解けている。
私を求めてくれる人がいる。
私を助けてくれる人もたくさんいる。
私を支えてくれる家族もいる。
夜、お風呂で子どもの泥だらけの野球ユニフォームをゴシゴシ洗いながら、幸せを噛みしめた。
幸せは、目の前にある。
うまくいってもいかなくても、私は変わらないんだ。