株式会社城南進学研究社 代表取締役社長兼CEO 下村 勝己さん
令和の時代に進化する学習塾
少子化、英語教育、デジタル変革など環境が変わる中、差別化を進める同社。着実に幅を広げ、新技術を取り入れながら拡大するが、理念と人間力は揺るがない。長期進化の戦略とは。
1)貿易会社から進学塾経営へ大転身を余儀なくした肉親の死
藤沢:藤沢久美の社長Talk、今日のゲストをご紹介いたします。今日は、JASDAQ上場企業です。証券コードは4720、株式会社城南進学研究社代表取締役社長兼CEO下村 勝己さんです。下村さん、よろしくお願いします。
下村:下村です。よろしくお願いします。
藤沢:「城南予備校」というと、関東圏の人はみんな知っていますよね。
下村:そうですね、歴史が結構ありますので。
藤沢:けれども、社名は、城南進学研究社ということですので、色んな勉強に関わることをやっていらっしゃるということですね。
下村:そうですね。
藤沢:もともとは予備校でスタートされたんですか?
下村:そうです。大学受験に特化した予備校としてスタートしています。
藤沢:大変な老舗で、昭和36年創業。
下村:そうです。昭和36年に、私の父が川崎で大学受験に特化した予備校としてスタートしたんですね。
藤沢:私は、スムーズに、その後、お父さんから「頼むよ」と言われて、今の下村勝己さんが社長を承継されたのかと思ったら、ご自身は、別の会社を立ち上げて社長をやってらっしゃるんですね。
下村:そうですね。結局、本当に色々ありまして、昭和36年に立ち上げたころというのは、徐々に大学に進学する学生さんも増えてきている時期だったんです。事業も非常に順調にいっていたようなんですけれども、父が昭和52年に突然亡くなってしまったんです。その後は、私ではなく私の四つ上の兄が継ぎまして、昭和52年から昭和60年までの8年間、川崎で一生懸命頑張ってやっていたんです。ところが、青天のへきれきというのはこのことを言うのかと思いましたけれども、その兄も、38歳で本当に突然、心筋梗塞で亡くなってしまったんです。母から夜中に突然電話があって、兄が亡くなったと聞き、こっちの心臓が止まるんじゃないかと思うぐらいにびっくりしました。私は当時、独逸機械貿易という、欧米から溶接機または関連機器を日本に持ち込んで輸入販売する会社の社長をやっていました。昭和60年に兄が亡くなるということは私も全く想定外の話でしたし、私は、ずっと貿易会社の社長をやっていけばいいと、兄は学校に専念してやっていけばいいんだと思っていましたので、ある程度、学校とは無縁の関係だったんです。一応、役員として、昭和57年に名前だけは連ねていましたけれども、ほとんど、ど素人の状態でした。そういう状況になってしまったものですから、継いでいく人間となりますと、私は、姉もいますが、姉も結婚して色々とありましたので、結局やっていくのは私ぐらいしかいないだろうと。もともと貿易会社の社長もやっていましたので、会社の経営そのものにはそもそも自信はあったんですけれども、いかんせん学校のことは何もわからないので、本当に参りました。
藤沢:溶接の機器の経営者と学校の経営者では、同じ経営者でもだいぶ違うと思うんですけれども、お父さんやお兄さんがやってこられたから継ぐという選択肢もあるけれども、それは全く分野外だから、ほかの方にお任せするという選択肢もあったかもしれない中で、なぜやってみようと思われたんですか?
下村:正直申し上げまして、やはり経営ってなかなか厳しいもので、実際に兄が亡くなった後、会社の財務内容とか色々と精査してみますと、債務超過しているような状況だったんですね。
藤沢:そうだったんですか。
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