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都合よく認識していた自分の偏りに気づく

この春に
中一になった長女の
授業参観、三者面談がありました。

娘は、吹奏楽部に入部し
週7日学校の日々に。
男子がほとんどのクラス
という変化がありました。

そんな中で

娘の話やうっすら届く噂を
 聴くだけでは

実際はわかってなかったな
 と改めて思うことがありました。

一見、ガヤガヤで
一部喧嘩が始まったり
なんだか落ち着かないクラスとはいえ、

 学校が色々と従来 当たり前にしてきた 
枠を外す試みを試行錯誤している過程だからこそ 
たくさん膿も出るし、

当然 一人一人の違いが出るんだなと。 

本来、学び方も受ける態度も
みんな画一的にすること自体は
静かで落ち着いて見えるかもしれない。
でもそれは誰の都合なのかと思うと
そこに学校が踏み切られたことは
すごいことだと思う。

一時的?長期的かもだけど・・・笑
その取り組みの弊害に見えることも
長いスパンで見守る視点も
持っていこうと改めて。

子供たちがわちゃわちゃと
様々な感じは
落ち着かないかもしれない。

静かに聴きたい子も当然いる中で
授業中にうるさくし

邪魔することを良いとは
もちろん言えない。

だけど一辺倒に
「うるさい。出て行け」というだけでは
根本的に解決になるわけじゃない。

そして静かにしている子がいい子で
うるさい子が悪い、関係ないというわけではなく

私もそのクラスに通っている
娘の保護者として、
いや、一人の人間として

自分がどうあるのか
ということを考えさせられました。

授業を邪魔をする子が迷惑、良くない
と二極でどこか考えてしまっていたのは私自身。

そんな私の偏り、認識を受け入れるだけでも
間接的に変化が出ると思うのです。

一人の私の認識一つからでも。



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