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議員に怒鳴られてばかり、要領の悪い秘書だった私の話

帰りがけの議員を引き留めて明日の予定を渡し、見送ってからその日の資料を見返すのが習慣になっていた。片付けが終わって時計を見ると22時を過ぎていた。三人の子ども達はもう寝る時間。

――晩ご飯は作ってきたけれど、今日の試合の話は聞いてあげたかった。勝ったのかなぁ、もし負けていたらなんて言ってあげよう。

窓の外を見ると、うっすらと新緑をつけた銀杏の枝が風に大きく揺れていた。「明日は春一番が吹くでしょう」天気予報は当たりそうだ。ジャケットを着て、カバンに予定の書かれた手帳を仕舞おうとしたその時、クシャっと折れた付箋が足元に落ちた。

――なんだっけ、これ。

拾いながら変にくっついた付箋の角を広げると、そこにあったのはお局様の文字だった。

「明日の厚生労働委員会の理事懇、時間変更!10時→9時」

えーーーっ!なに?なになになにこれ。
そう言えば、帰りがけに「よろしくね~」って言って私の机に貼っていた?これ?!

え、スケジュール今からやり直しなの?え~~~っ。

委員会が1時間繰り上がるということは、9時に入っていた面会予定をどこかに移動しなきゃ。面会相手も国会議員。今から議員事務所に謝りの電話入れて、スケジュール変更してもらって、うちの議員に電話で伝えて、それと、えっと、えっと・・・。

調整と連絡の全てを終えて時計を見たら、零時を回っていた。

子ども達はもうとっくに眠っているだろう。
悪いことした。こんなに遅くなるなんて言ってなかったし、試合の話も聞いてあげられなかったし、弟は明日テストって言ってたっけ。

耳の奥に電話越しの議員の怒声が残る。
「今ごろになって予定変更?相手の議員になんて謝るのよ!!全く、いつになったら仕事任せられるの?!」

お局様の仕事だったんだけど、そんなこと言ったら火に油。でももうこれで何回目だろう。
はぁ、明日の朝、また叱られるんだろうな。

口の端を上げたお局様のうす笑いが目に浮かんだ途端、胃袋がギュッと掴まれたような気がした。

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議員秘書になりたての頃の私は、こんなことの繰り返しでした。お世辞にも仕事のできる人とは言えない、冴えないシングルマザー。3人の子どもをワンオペで育てながらの慣れない議員秘書業。でも他に収入事のあてもない私は、そこで得られる月給20万円を手放すわけにはいきません。

自分のダメさ加減を仕事で突きつけられる毎日。国会用語もしきたりも、教えてくれる人は誰もいない。それが永田町の厳しさでした。

そんな中、議員会館にも優しい人はいました。お弁当や雑貨を扱う売店「おかめ堂」のおじさんです。食べ損ねた昼食用にと売れ残りのおにぎりをレジに持って行くと、おじさんは私の顔をみてこう言いました。

「毎日疲れるよなぁ。鈴鹿ちゃん。でも国会もあと2カ月。お互い頑張ろうな!」そう言っておにぎりとお釣りを渡してくれた後、おじさんはプロポリスの飴玉をひとつ私の手に握らせて、受け取った手の甲を赤ん坊をあやすようにトントンと叩きました。その途端、視界がにじみ涙があふれだしました。どうして泣いているのか自分でもわかりませんが、とにかく涙は止まらないのです。泣いた顔でエレベーターに乗るわけにもいかず、私は階段を使って上り、しゃくりあげる声が息を切らすのに紛れて助かったのを覚えています。
今日は、出来の悪い秘書だった頃の、懐かしい話でした。

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