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選挙に負けたら5日以内に出ていく。議員会館と議員宿舎の引っ越しの風景

衆議院議員会館の廊下やエレベーターには、ブルーの養生シートが張り巡らされています。出ていく議員事務所の引っ越しのためです。この景色はもう何度見たことでしょう。何度見ても切ないのが選挙直後のこの風景です。

議員会館の引っ越し

議員会館の中は変に静かで、12階まである各フロアでは、挨拶回りの人に交じって事務所の片付けで段ボールを抱えた秘書さんが行きかっていました。ゴミ置き場はパンパンに膨れた大きなビニール袋や段ボール箱が山積みで、ごみ箱もいっぱいで、隣の新聞紙を入れるボックスにまで雪崩れています。廊下にまではみ出ているごみの山を見て、私が秘書だった時に同じ景色を見ていたことを思い出しました。

思い出す。負けた選挙のあと始末

選挙が終わり、選挙に負けた後の仕事と言えば、契約を確認して地元事務所を閉所し、片づけの内容を紙に書き出して地元秘書に指示し、挨拶回りのスケジュールを立て、議員に手渡して、後援会長に挨拶に行く。私は、永田町に戻り、今度は議員会館の事務所と、議員宿舎の引っ越しの作業をしなければなりません。

旧議員会館は、暗くて狭くて、それでなくても心許ないのに、夜遅くまで一人で片付けていると、寂しいやら怖いやら悲しいやら。

これからどうやって仕事を探そう。どこか政策秘書を募集しているところを見つけないと。3ヶ月以内に再雇用されないと、解散の後から選挙の期間はお給料が出ないことになる。僅かな貯金も既に取り崩しているし、あと何カ月暮らせるだろう。

秘書だった私

私は3人の子ども達の学費の支払い日を逆算しながら、黙々と部屋の片づけをしていました。秘書室の棚の書類を段ボールに押し込み、仕事用の椅子にその段ボールを乗せ、ギコギコ音を立てながらゴミ置き場まで運び、また戻って同じことを繰り返す。永遠に終わらないのではと思う程の紙の山の中、選挙で疲れ切った身体を引きずり回すように動かすしかありませんでした。


静かすぎて

今日、議員会館を歩いていると、あの頃の自分をあちこちで見つけました。目の下のクマ、やつれた頬、数カ月美容室にも言っていない荒れ放題の髪、小じわが縮緬のように寄っている日焼けして黒くなった手の甲。

お疲れ様。お疲れ様。。。大変だったね。

心の声

昨日の夜、日をまたぐ頃、20年来の秘書友からかかってきた電話。

「議員ってさー、どうしてこうなんだろう。負けた地域は秘書が悪い、勝ったエリアは自分がやったからだって。もう嫌になってさー」
ーー「何を今ごろ言ってるのよ。辛かったら辞めても良いじゃない」
「でもさー(涙)まだ子ども小さいしさー(泣)」

もらい泣き電話

議員会館に満ちている空気は、ピリッと厳しいものでした。勝って帰ってきた議員事務所にでさえ、勝利のムードを漂わせることを禁じているかのようでした。地下1階の廊下で、国会土産屋のおじさんに会いました。

ーー「おじさん、選挙終りましたね」
「あー、終わったねぇ。でも、この時が一番つらいよねぇ。秘書さんたち、疲れきっていて」
ーー「そうですね。今日は特にそんな空気でいっぱいですね」
「気の毒だねぇ」

土産物屋歴40年のおじさんとの会話


虚しく見えた

今日は、慰労のご挨拶に数件の議員事務所をまわる中で、複数人の議員秘書の再就職のお願いと、秘書を募集している議員からの依頼を受けました。再就職先を探している秘書たちは、まだ片付けの真っ最中。気持ち切り替えて、つぎ探さないとね。

議員秘書の人材紹介業を始めたきっかけ

私が議員秘書専門の人材紹介業を始めたのは、私自身が再就職でみじめな気持ちになったことが何度もあったからです。永田町で働きたい人が、負けた選挙の後でも、堂々と仕事を探せるような場所があればいいのにと思ったことがきっかけでした。


国会議事堂正面 衆議院側

お仕事を探している方はご連絡ください。
がんばれ~~~!




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