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消費と選挙は似ている

モノを買うのは、「意志」が生じる行為だ。

「あれが欲しい」「あれが買いたい」…私たちのお金には限りがあるので、全て欲しいものを手に入れることはできない。では、有限なお金の中で何を買うかというのは、単に物欲を超えたとっても身近な意志表示だ。

大してお金もないけど、大して物欲もない私。映画や本など、エンタメ系には割と躊躇なくお金を使うけど(それでも多くはないはず)、「服飾品」みたいなある種の「贅沢品」は、なかなか購入できない。

「おしゃれしたい」「かわいいものを持っていたい」という欲はあるにはあるのだが、靴やバッグなどは一つのモノをいつも使うタイプだし(さすがに靴はいくつか持っていたほうがいいと思っているけど)、買い物の時間がなければ、気づけば去年の服でシーズンを終えてしまった…なんてこともある。(や、さすがにどうなのよ、女子力!とは思うけど)。

洋服などをたくさん買ったら、ハッピーになれるという女性は多いと思うけど、私は、洋服を買うと、必要不可欠じゃないものにお金を使ってしまったかもしれないという罪悪感を感じてしまったりもする。

とりわけアクセサリーなんてもう、買う基準が分からない。ピアスの穴は空いているし、アクセサリーをしている人を見てすてきだなとも思うのだけど、いつのころからか、売り場に行っても全て同じように見えて、決め手を欠くのだ。一体何を基準にアクセサリーを選べばいいのか…

そんな私は、この夏、実に久しぶりにピアスと、飾りの付いたヘアゴムを買った。どこで買ったのかというと、夏休みに一人で訪れた「Reborn-Art Festival」、宮城県石巻でのことだった。

インフォメーションセンターには、その地にゆかりのあるいくつかの商品が置いてあった。その中で目についたのは、FUNADEという会社が制作している、被災した大漁旗を使ったアクセサリーだった。

制作背景にも惹かれたし、デザインもかわいい。そしてそのアクセサリーに出会ったのが石巻のいう場所であったということ。わたしは、大して迷わず、いつも買わないアクセサリーを2つも買っていた。罪悪感もない。

一時期、「消費者はものの背景のストーリーを見て買う」という考え方が流通し、ねこも杓子もストーリー付けをしているように感じてしまった時期があって、「ストーリーのある商品」そのものには少々食傷気味だったはずなのだけど。

きっと、今の私たちの消費行為は、「ストーリーに惹かれる」から一歩進んで、「この人たちを応援したい」「私はこういう考えの売り手の人に賛同する人間だ」という意志を表現するものになってきている。お金という名の投票用紙で、その売り手のその先の活動を支持し、その商品がある未来を望む…。というわけで、このタイトルに行きつく。

これは、クラウドファンディングの考えに通じているものだと思う。クラウドファンディングは、かつてイメージされていたような「寄付」行為だけではない。応援したい人に、会社に、商品に、自分のお金を投じることで「自分の望む未来」を示す。だから、コミュニティの形成にも繋がりやすいように思う。(さらにクラウドファンディングは、「リターンをもらう」というよりは、「自分が欲しい商品のお金を前もって払う」という考えの方が近いと思っている。)

もちろん、何を買うかを選択する程度に生活に余裕がないと、そんなことは言っていられないけれども、一人一人の消費行為で一人一人が望む未来を示していけるような、みんながそんな消費者になったらステキだなと思います。

※ただし、やはりストーリーがしっかりしていて、制作背景、会社や作者の思想などはすばらしくても、デザインが伴っていないものは買わないだろうなと思います。そう言うものがちまたにあふれたのが、私が「ストーリー」に食傷気味になった原因かと。ストーリーはあっても、それに頼らない、甘えない、商品そのものもすてきなものが増えていくといいですよね…、勝手ではありますが、そう思う訳です。




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