コミュニティ研究ノート #03 コミュニティの中で自分を知るということ
コルクラボに入っての気づきや、自分の変化を書き留めるシリーズ、「コミュニティ研究ノート」。なのですが、そうか、まだ#03なのか…。
コルクラボにいることで、日々いろんな発見や変化があるのですが、まとめようとすると難しい。最近の私の場合、変化ははっきりくっきりしたものじゃなくて、昔クイズ番組でよくあった、「画面の一部が変化するので当ててね」みたいな、じわりじわりとしたものなのです。
ただ、ここらで書き出しておかないと、遠くへ行ってしまいそうなので、一度、絞り出してみるよ。
最近の変化は、自分を知ろうよ!ってことがやっと腑に落ちたってことだと思います。
コルクラボでは、至る所で「自分を知る」ことが推奨されているし、イベントなどでも、自分を知るための設計をしていることが多いです。
例えば、もういろんな人が紹介しているけど、毎週月曜日に出される「お題」。
「自分がのめり込んだことは?」「印象に残っている師弟関係は?」「自分の脱皮体験は?」など、様々なお題に対して、自分の考えを投稿するものです。
あとは、読書会。課題図書があって、それにまつわるテーマで語り合うのですが、なんと「本を読んでこなくてもいいよ」って言うんですね。語り合うのは本の内容理解を深めるためじゃなくて、本の内容と自分を照らし合わせて、自分自身の理解を深めてるためだっていう印象を受けています。
こんなラボの姿に、「なんでこんなに真剣に自分の感情のこと考えるんだろう」って、否定じゃなく、素直に不思議に思っていたのですが、だんだんと、そういうことを考える環境に馴染んできていたんですね。
そんな中、最近、自分のnoteに、映画のレビューを書き始めたのですが(まだ2つだけどね)、感想を描こうとすると、どうしても自分の心と語り合うことになります。で、その時発見するんです。「私、自分のこと全然わかってない!」って。ここでやっとわかっていないって言うことが実感としてわかったのです。
その後の自分の感情を紐解く作業は、スルスルスルって出てくるものもあれば、全然掴めないものもあって、大変だったけど、とても新鮮な体験でした。
自分が自分のことを知らないのは実感した。じゃあなんで自分を知ることが大切なのかっていったら、サディ(佐渡島さん)がこんなことを書いていました。
かいつまみすぎるくらいかいつまむと。
自分を知ることで目的や夢が見つかる
自分を知ることで、人は安定する
安定すればそこに積み重ねることができ、プラスへ持っていける
ということだと。自分のことがわからないから、間違ったゴールを設定してしまったり、間違った努力をしてしまったり、心が振り回されたりしてしまうんですね。そして、未来の自分を作るために、自分を知ることが大事なんだと。
さらに最近、4期生として入ってくれたぐっちさん (まだお会いしてないですが) と、とっちーのこの会話の内容がすごく刺さったんです。
確かに、コルクラボでは、自分自身を「さらけ出した人」をすごくすごく大切にします。掲示板でもスラックでも、何かさらけ出すと、「ナイスなさらけ出しすぎる」って褒めてくれる人もいます。(一人で勝手に「さらけ出し警察」って言ってる)
そうやってみんな自分になろうとするし、自分になろうとする人を応援します。そして、みんなが心置き無く自分になれるような場になろうと、安全安心の設計に奔走しています。
そして、大好きなゆうさんのnote。
曰く、コミュニティは、自分自身を見つけようとする人を応援するし、お手伝いもできる。自分自身が見つかったら一緒に喜べるし、それが世界と繋がるようなブースター装置にもなる。
そんな場所があるということはとても素晴らしいなと思うし、そういう場所でいられるように、私ももっと、努力していきたいなと思います。
そして、ある時にサディが言っていたことで、頭に残っている言葉があって、ちょっと曖昧なんですが、ざっくりと、
コルクラボは、既存の価値じゃなくて、新しい価値基準をもつコミュニティにしたい
ということ。そもそも「コミュニティ」なんて、昔からあって、ご近所や学校、会社だってコミュニティです。それでも今、多くの人が新しいコミュニティをあえて作り出そうとしているのはなぜかというと、会社の中ではなかなか認められないような、新たな価値基準をもつ人の集まりが必要とされてきているからなのかな?と。
自分らしくいることが大きな価値になるコミュニティ。そんな場所が自分の周りにあったら、とっても素敵ですよね。そんな未来のことに思いをはせる最近です。
引用が多くなっちゃったけど、最近の私のコルクラボでの学びは、こんなところ。
みんなの意見も聞きたいな。
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過去の「コミュニティ研究ノート」は、ここにあるよ。