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「男女共同参画」が少々腑に落ちない件

研究者の将来のキャリアに関するアンケートを若手研究者を対象に某学会で実施させていただいたことがある。結果、若手対象のつもりが、アンケートのお願いのメールを比較的広く巻いたためか、回答者の半数以上が40代以上の中堅の研究者であった。

アンケートの回答を取りまとめると、そこには研究者達の人生の苦悩が凝集されていた。すべて書き出すと大河ドラマよろしくの超大作になりそうなので、ここでは特に気になった課題の一つ、女性の登用の件を恐る恐る取り上げたい。

「教授のポジションに応募しようにも、女性優先というケースが多く、これまでの自分の研究者人生を否定されたような気持ちになり、このまま研究を続けるべきかと、心が折れそうになる」というコメントが、男性とおぼしき研究者の声としてあった。同様のコメントは回答に散見されたのである。

以前、某省の委員会に声がけをいただき参加したことがある。出席すると議事次第には「参加者何名、うち女性何名」と書かれていた。この委員会に女性を何人か混ぜとかないといけないということだったのだろう。それで私に声がかかったのだろうかと思うと、何やら後ろめたいような気まずいような思いがあった。場違いというのだろうか、女性の人数を書かなければよいなら私など本来声がかからなかったのではないかとも思いながら、苦い思いが残った。

王様の耳を見てしまったあわれな人のように、私もここに穴を掘って叫びたい。

男女共同参画って、きっとそういうことじゃない!

教授の公募で「男性優先」と書くと世間から大変叩かれるだろうに「女性優先」と書かれてあっても誰も表立って批判の声を上げないのはどうしてなのだろう。これって、女性にとっては本来の能力を見てもらえているのだろうかと思わぬでもなく、ある意味これもやっぱり女性差別なのではないかと思うと共に、これをよしとして続けていると、優秀な男性研究者が挫折してしまうのではないかと心配になる。

ということは男性にはとても書けないのです、と男性の研究者が嘆くので、思い切ってここに私は書いてみた。

男女には決定的な違いがいくつかある。赤血球の数や筋力、からだの大きさなど、体の作り自体や子孫を残すための役割からしてちがう。なので、若い頃から男性にはどうしても体力で劣ると感じてきた。ただ、女性には女性しかできないこともある。だから、山登りで言えば、体力のある男性が前を歩いて道を拓き、危険を察知し、後方を守りながら頂上をめざし、女性はしんがりを努めてチームで山を登れるように気を配るといったような、いかに男女問わずそれぞれの強みをいかしてチームで共に働き共に新しい何かを作り上げていけるかということが大事なのだと思う。なお、こ
れは家庭においても同じことが言えるのかもしれない。

男女共同参画かくあるべきという答えはすぐにもちあわせないが、少なくとも公募から「女性優先」という言葉が消えることを皆で共に知恵を出しあって目指していけたらと願う。

京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構
鈴木 忍

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