ナレーションを極める17 NHKのリポーターからナレーターへ
こんにちは。ナレーターの熊崎友香です。おかげさまで、このノートを読んで、事務所にご連絡をくださったり、私のワークショップに参加してくださったり、メッセージをいただいたり、反応があり、本当にありがたいなぁと感じています。
改めて私がNHKのリポーターからナレーターになった流れを説明します。どなたかの参考になれば幸いです。
私は22歳の時、FMえどがわと言うコミュニティラジオ局で、制作兼アナウンサーとして働いていました。そしてMXテレビなどで少し働いた後、NHK青森のキャスターリポーターの試験を受けて合格をいただきました。NHK青森、仙台、千葉、首都圏と12年お世話になりました。
もともとMXテレビやFMえどがわで、大先輩のフリーのアナウンサーの皆さんの姿を見ていたこともあり、いつかは、東京でフリーランスとして働き、好きな仕事をしながら育児を行う。そんな生活ができたらいいなぁと思っていました。
そして自分の声は、低めで、ニュースがあっているのではないか、また自分がニュースを読んだり、ニュースの現場に入ることが楽しかったので、ナレーションの中でも報道、しかも自分の声や特色を生かして夜の番組が合うのではないかと、青森を受ける前から、なんとなく考えていました。
千葉局では、ラジオのドキュメンタリー番組を作り、実際にベテランナレーターさんに、声を吹き込んでいただき、番組のクオリティーが格段に向上したこと等の経験から、本格的にナレーターになりたいと決心しました。
正直なところ、そこには、リポーター兼ディレクターとして働いている暮らしぶり、例えば、多忙な時は、朝6時に入り、メイクをして、ロケに行き、帰ってくると夜9時、その後テープ起こし、編集作業を終えて帰宅すると深夜3時という生活が、とても楽しかったのですが、、、
これは若いからこそできる、ずっとは続かないのではないか、結婚して子育てもしっかりしながら、好きな仕事とも関わりたい、それには、ナレーターが、良いのではないか、など現実的な考えもありました。
実際、ナレーターの事務所のホームページで見たり、つてを辿ってお話を聞いた結果、俳協と言う今所属している事務所は、比較的元アナウンサー系のナレーターさんも多くいるような印象を受け、年齢的にも30代半ば位まで採用してくださる、心の広い事務所だと思ったのです。
そこで、首都圏のリポーターを始めて落ち着いた頃、俳協養成所の募集に応募しました。そして試験を受けて養成所レッスンを週に1度1年間受けました。(主に休みの日の土曜)
その後.所属審査に合格し、事務所に所属。
先輩たちの開いてくださるレッスンに参加したり、先輩方の舞台を拝見したりして、勉強を重ねました。
その後、オーディションを受けて、テレビ東京のワールドビジネスサテライトナレーターに決まりました。
さらに、妊娠し出産し、3ヶ月育休をとってまた番組に復帰しました。たった6年前ですが、当時はまだ復帰というのが珍しかったようです。
番組の皆さん、テレビ東京の皆さん、事務所の皆さんに心から感謝しています。
最近は、出産後も復帰する人が増えているようで、とても嬉しいです。ますます当たり前に産休をとって復帰できるようになることを願っています。
長文にお付き合いくださりありがとうございました。どなたかの参考になれば幸いです。