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初めましての自己紹介

1981年4月28日生まれ。
横浜生まれ、横浜育ち。
22歳で息子を出産。その後すぐにシングルとなった私。

昔から自然が好きだったのはあるけれど、幼少期からまぁ〜色々と波瀾万丈な人生経験があり、田舎暮らしがしたくなり、全てはタイミングで、当時2歳の息子と2人で茨城へ来ました。(そのうちに、生い立ちやなぜ茨城だったのかは、語る事にします。)

茨城に来てからも波瀾万丈は続いており、いつも思っていたのは、
「私の人生こんなもん。こうして苦労だけで死んでいくんだろうな…。」
「私はきっと、幸せになってはいけない人なんだ。」

そんな私に変化が現れ始めたのは、2021年の1月頃から。
その頃、自分のやりたい事や目標たるものが沢山あったのに、それが一気に見えなくなってしまい、ずっと前進できない日々。
特に何があったわけではないのだけれど、それまで掲げていた夢や目標が、本当にやりたい事なのか、全く見えなくなってしまった感じ。

毎日もやもや、とにかく闇の中を彷徨っているような感覚。苦しかった。

そんな時、ふと16年程会っていなかった父親のことが気になり、(これもまた後に生い立ちの中で話します。)「このまま会わずに死んでしまったら後悔する」そんな感覚がやってきて、勇気を振り絞って父親に連絡を取ったのが4月だった。

4月は父と私の誕生月。父は26日・私は28日、近いこともあり、小さい頃はいつも一緒にお祝いをしていた。
私は3人兄弟の真ん中で、上下男の唯一の女の子。
父にはとても可愛がってもらっていたのに、とある事がきっかけで、親子の縁を切ろうと思い、それから早16年の月日が経っていたのだ。

そして、父とようやく繋がった矢先、父が体調を崩し、会う約束をしていた前日に入院。
コロナのせいで面会もできない中、日に日に弱っていく父をみていた主治医が、特別に面会許可をくれた。

16年振りの再会は、当日の朝から高熱を出したとの事で、フェイスシールドにマスクで面会はできたものの、父の意識は朦朧。
娘に会いたいと夜ごと言ってたそうだが、娘と分かっているのかいないのか…。
笑点も合わず、短時間で面会は終了した。
元気だった父の面影はもはやなく、この16年で別人のようになっていた。

私は茨城。父は福島。
帰りの高速の中でなんとも言えない想いで帰宅。


とにかく今は回復を祈って、意識がしっかりしている時に、
「私をこの世に誕生させてくれてありがとう」
それだけが伝えたかった。

その後、一時は回復して主治医からの病状説明のために再び福島へ。
その時に少し会話はできたものの、やはりコロナの関係で、先生からの話の時以外は極力離れていてくれとの事で、ほとんど会話はできなかった。
別れ際、何かを察していたのか、言葉にならない想いで父と握手。
父も涙を浮かべながら、ただただ、私の手を力強く握ってくれた。

それから間も無く、父は亡くなった。
最後に会ってからたったの2週間。
元気な顔をしていたのに、急変だった。

ありがとうの気持ちも伝えられず、ごめんねの気持ちも伝えられず、
娘として、最後まで何もしてあげられなかったという後悔が私を襲った。

後悔と悲しみに明け暮れた。
「親孝行したい時に親はなし」
この言葉が身に染みた。
過去を振り返っても、時は戻らない。
とにかく前を向いて歩いていこう。

そう自分に言い聞かせ、ようやく元気を取り戻した矢先…

8月に愛犬が旅立った。

病気はあったのだけど、13歳。まだまだ寿命には遠かったはず。
どうやら、寂しがりやの父を想って、お供してくれたのだそう。

涙が止まらなかった。

人生でこんなに泣いたことはないんじゃないかと言う位、大人気なく声を出してワンワン泣いた。

その後9月に弱りきった私にコロナが感染。
ここでもまた、いろいろな経験をさせてもらった。

でも、それから私に起きた不思議体験の数々。
私のスピリチュアルな能力が一気に目覚め出した。

と同時に、それまでの人生の流れが一気変わり出した!!!
魂のステージアップの時期だったのかなと、今振り返ると思う。

この辺りはまた、ブログに書いていこう。

「人生は一度きり!
人生という旅をいかに楽しめるか!!
夢ある子供を作りたい!!!
そのためには夢持つ大人が必要!!!!
今の暗い世の中を、明るい未来に変えていきたい!!!!!」
そんな想いで、私の経験が役に立ってくれる事を願っています(〃ω〃)


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