【飾った現実か鮮明な創作か】バターマーマレード「ゆうくれない」で1.3倍文芸通気分になれるnote
こんにちは!
アキレスと亀のともきです!
今回は三ヶ月連続リリースの2曲め!
バターマーマレード「ゆうくれない」
について
やわらかい世界
暑くなかった夏
「ゆうくれない」
の3つのキーワードで勝手に深読みしていきたいと思います!
やわらかい世界
今回の「ゆうくれない」はバタママのキーボーディストTiffaさんが作り上げた楽曲だそうな。鍵盤上手で歌もよくって曲も作れる…私とってもエンヴィーです笑
前作の蜂谷くん作の「二人だけのムード」と比べても世界がとってもやわらかく感じます。
もちろんどっちがいいとかって話ではないんだけどこの違いはなんなんだろう。
個人的に1番変わったと思うのは「君」と「僕」の立ち位置。
「二人だけのムード」は歌の外にいる「君」に歌を届けているイメージなのに対して、「ゆうくれない」は歌の中に「君」も「僕」も内包されている感じがする。
二人の登場人物が歌の中にいるからこそいい意味でリアリティがありすぎないというか、どこか幻想的でまるで一編のやさしくてちょっと切ない物語を読んだような気持ちになる。
普段歌の外の「君」に届ける歌ばかり聴いているせいか、「君」が歌の中にいるとなんだかまるで聞いている自分さえ歌の中にいるような気がしてくる。不思議な感覚。
曲調は基本的には穏やかで、気だるさ香るポップスに仕上がっています。
ただ1サビ終わりの間奏はアガった。
儚く美しく見える夕焼けも奥にあるのは轟々と燃える太陽なんだぞ!みたいな。
普段クールなバターマーマレードの情熱の部分を垣間見た気になってます。勝手に。
暑くなかった夏
「ゆうくれない」は夏が舞台の楽曲になっています。
もちろん歌詞には夏を感じさせる言葉も使われているのに、不思議と暑さを感じないんです。
あの角を曲がれば君の待つバス停
額の汗拭わずに 陽のあたる白い坂道
残照を浴びた風は 最後の夏を彩るようで
こんな歌詞から曲が始まるんですよ。「額の汗拭わず」とか普通に使ったら暑苦しいと思うし、僕みたいなおじさんが使うと不潔なわけですがなんでこんなに爽やかなんでしょう。
最後の夏っていうヒヤリとする言葉が文を引き締めているのだろうか…
額の汗拭わずってことは小学生くらいの出来事なんでしょうか?
中学生とか高校生くらいの恋のお話だとするなら多分汗拭う。男だとしても気にすると思う。
だからもっと幼い頃のお話だ。小学生とかもしかするともっと小さい頃の思い出のお話。恋ですらないのかも。まだ恋とかそういうんじゃない気持ち。うちのヨシダが大好きなヤツ。
そう考えてみると、子供の頃の夏って今感じるほど暑くなかった気がするんですよね。
もちろん暑かったには暑かったと思うのだけれど、最近苦しんでいるほど苦しんだ記憶がないというかなんというか。
単純に記憶があやふやなだけなのか、それとも地球温暖化やらコンクリートの増加やらでほんとに温度が上がっているのか、その辺はちょっとわかりませんが。
ともかく僕が子供時代を思い出すと暑さの記憶って全然ないんです。皆さんはどうなんでしょう?
やっぱり小さい頃って受け取る刺激が多いから暑さより覚えていることが多いとかそういうことなのかな…
そして僕が「君」も歌の中にいる!とか言っていたのが次の部分
「またどこかで会える?」
「うん、きっと」
「きっとよ」
「振り向かないで」
ツインボーカルを生かし切った構成だし、会話が入るとより小説感が増すというか、うまく言えないけど作り上げてきた世界のリアリティが増すというか、現実を飾り付けて歌にしたのか創作の解像度を上げて歌にしたのかわけわからなくなります。
何が繋がっているのかわかりませんが、僕の大好きな作家の加納朋子さんという方の作品を思い出しました。通ずる柔らかさと浮遊感があるのかな…
「ゆうくれない」
こういう文学的な歌詞の楽曲を紹介しているとまるで自分まで文芸家になったような気になります。勘違い野郎です。
そんなわけでいよいよサビの歌詞をご紹介します。
名前のない二人だけのサイン
青が夕焼けに変わる
バス停の影 二人の間に線を引く
隠した言葉 幼い横顔 綺麗な手と手
まだ暮れない夏の記憶
切なくも美しい言葉が並ぶわけですよ。
偶然か必然か今回は「二人だけのサイン」前作が「二人だけのムード」
同じテーマで曲作ってるのかな?とか三部作ラストは…?とか邪推してしまいます。
バス停の影 二人の間に線を引くとかね。さっき待ち合わせしてたバス停がの影が、日が暮れ始めて伸びていくようすの描写だと思うんですけど、それを二人の未来の比喩に使うみたいなね。やっぱり小説じゃんよ。しかも教科書に載るタイプのやつだ。
そして言わずに隠してしまった言葉。幼い横顔。それから向かい合うことはなかったのかなぁ…とか想像させる力がある。
そしてまだ暮れない夏の記憶と続くわけです。
さてここでタイトル「ゆうくれない」について考えてみようと思います。
「ゆうくれない」ってなんなの?全部ひらがななのもふわりとやわらかくていいのですが、それだけじゃない気がしてる。
まず最初に考えたのは「夕紅」
つまり夕日の色の美しさ。これも一つある気はする。
次に考えたのはサビの最後のまだ暮れない夏の記憶という言葉。
暮れるというのは日が沈んで夜になること。夏の記憶が暮れないってことは忘れないもしくは忘れられない。
大切な思い出を太陽とするなら、昼間ほどの明るさや強さはなくても夕暮れのちょっと儚く美しい日差しの感じというか、小さいころの記憶だから細部まで鮮明じゃない。だからこそより尊くかけがえのないもののように感じる。
そんな意味での「夕暮れない」
そんな意味が込められているような気がします。(もう一つあなたは何もくれなかった「YOUくれない」というアイディアもあったのですがダジャレすぎて却下としました。)
この小説と現実の狭間でふわふわしている感覚をぜひ味わって欲しいと思います。
それではまた次回の記事でお会いしましょう!バイバイ!