徒然なるわっきー①
さて、とっても軽い気持ちでスタートしました『徒然なるわっきー』でございますが、これといってテーマがあるわけでもなく、本当に思い付いたことを思い付いたままに書き連ねていく予定です_(:3」z)_
根本的なテーマというかコンセプトは
「前向きな遺書」
です。これは別に死ぬ予定があるわけではなく、けど逆に言えば明日死ぬかもしれないよなぁと思ったわけです。オレはオレなりにのんびり生きてはいますが、こう見えて実は色んなことを色んな感じで実に色々と考えたりもしているのです。知らんけど。
そんなよく分からん色々も、オレと共に世界から消えてしまっても別にいいんですが、まぁほんの少しだけ何かの痕跡を残してみるのも悪くないかな、という次第でございます。
最近、YouTubeで音楽関係の動画を見る機会が増えまして、殊更思うようになったのが「道を極めた人って本当にすごいな」という当たり前の感想でした(・_・;
実はオレ、昔から「オレって天才」と豪語しながら生きてきた黒歴史を持っておりまして、『山月記』の主人公の悔恨が心にグサグサと刺さったりもする訳なんですが、サッカー業界に関わりながら学びを深めていくうちに「あ、オレはあれだ、普通の人だ」と今では精神的にも物理的にも小さくまとまっているはずです()
そしてご存知の方も居られるとは思いますが、福山シティFCに関わらせていただく中で、色々な人たちがそれぞれの「価値」を大切に歩んでいる姿に触れるにつけ、自分自身の価値ってなんだろうな・・・と随分真面目に物思いに耽ったりもしていた気がします_(:3」z)_
ところが、結局のところ自分自身の価値ってのはよく分かんないです。そういうものって自分じゃなくて周りの人が決めるものだ、と思ってきた節もありますしね。今となっては、周りの人が決めるんだ、という側面は否定しませんが、これだけになってしまうと自分自身から目を背けているだけになってしまうなと思い至ることになりました。
で、せめてもの自己肯定ではないですが、自分と向き合うためにも自分が今まで積み上げてきたことや、その結果として「何をどう捉えているのか」のような内面のあれこれを言語化していくことって大切なのかもなぁ・・・と考えた訳です。
実は普段からTwitterの呟きやnote記事を書くときは、大体その辺りを意識しているとは思います。だけど、もうちょっとそこに踏み込んでみると、顕在意識では見逃しているかもしれない自分の内面に出会えるかも、それが自分自身の価値になるかも、なんてことを企みながらキーボードをカチャカチャやっています。
有り体に言えば「自分探しの旅」ですかね_(:3」z)_
人生とは「散歩」と思ってのんびり生きている人間(熊)なので、色んな景色も眺めていたいし、自分の足元も見つめていたいし、来し方を振り返ってみたりもしたいし、遠くに見える何かにワクワクもしたい。
そんな日々の歩みを記して行けたら面白そうだな、というお話でした。
次回は1週間以内に書くはずです_(:3」z)_
はず。