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8月 7日(日)

招詞
あなたがたのうちだれが思いわずらったからとて、
自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、
栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも
着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる
野の草でさえ、神はこのように装って下さるなら、あなたがたに、
それ以上よくして下さらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
  マタイによる福音書6章27-30節(口語訳)

8月第一主日は、日本基督教団の暦で「平和聖日」です。ウクライナばかりではなく、争いや苦しみ、病いのある世界のすべての所に「主の平和」が訪れますようにお祈りいたします。

コロナ禍ではありましたが、H伝道師の娘家族が、石巻から飛行機で熊取まで来てくれて、一緒に礼拝をおささげしました。感謝です。

礼拝の後で、ほとんど同じ時期に骨折されたM.Nさんのお母様と、K.Nさんがそれぞれ入院されている病院でリハビリのために歩行器で歩く練習を始められたとの報告がありました。今の時期は避暑を兼ねて、どこか適切なリハビリ病院で過ごされて、しっかり歩けるようになってほしいとご家族は願われているようです。どうか早く回復されますようお祈りいたします。

8月に入って本当に毎日暑くて大変です。
皆さま、どうぞご無理なく涼しくお過ごしくださいますように。ご健康が守られますように。主の祝福をお祈りいたします。ホームページ訪問、今週もありがとうございます。

7月31日・礼拝説教要約
「神の巻物を食べる」エゼキエル書2章1節‐3章3節   濱田辰雄牧師

 エゼキエルはバビロン捕囚真っ只中の預言者であり、捕囚民の一人であった。彼はバビロンにあるケバル川で神の啓示を受け、預言者となっていくことが告げられた。しかしエゼキエルは、神から示された数多くの幻を見た預言者であり、その幻の意味を私たちも共に探っていかなければならない。
 エゼキエルは、預言活動を始める時、神さまから示された「哀歌と呻きと嘆きの言葉」が書かれている巻物を食べるよう命じられる。エゼキエルはそれらを食べて腹を満たすと、「それは口に蜜のように甘かった」。
 神を信じ、神に従う者は、主の御言葉を食べる者でなければならない。読む、聞く、だけでは不十分である。我々は主の御言葉を食べて、その甘さを味わい、腹の中に一杯御言葉を蓄える者である。その蓄えた御言葉がいざという時の力になる。


◇次週の主日礼拝◇
8月14日(日)午前10時15分 
説教『世の終りのしるし』濱田美惠子伝道師
聖書:マタイによる福音書24章1―14節
讃美歌:29、58、531、463、27
交読:詩編93編1-5節